差し伸べられたその手がまさにタイトル通りだったら、それは善意と言えるだろうか?それとも善意の延長線に起きてしまった善意のエラーで片付ける?
わたしが経験し来た事です。
詳細は省きますが、最終的には創価学会に勧誘された事でわたしは逃げました。
そして以来連絡を絶ちました。
端からそれが目的ではなかったのは本人を知っていたので理解はしていたが、まぁ嫁さんに問題あったよね。
一人で学会に入れば人間がまともになるよねとか、ずっとブツブツ言ってるような人。
わたしは端からこの嫁さんは相手にしていなかったので、平穏な日々を過ごしていたが、ある日突然ですよ。
「聖教新聞取ってくんないか」なんて言われてわたしはゲンナリ、向こうはニンマリ?だったかは知らんが、とにかく即刻逃げる準備したよね。
逃げた事が原因で第三者である本人曰く自称友達と疎遠になろうが音信不通になろうが知った事じゃなかった笑
まぁこのおっさんがわざわざ自宅まで来てわたしを引っ張り出そうとした時点で何かしらの作為はあっただろうし、そもそも当時のわたしに選択肢なんて無かったからね。
とりま受け入れて金貯めてそれから考えようとしている途中だった。
まぁ自称友情なんてこんなもんだし、さほどガッカリはしなかったし、面倒な連中だなくらいにしか思わなかった。
関わらなければ、視界に入れなければそいつらはわたしにとって存在しないのと同じ事だからそれでよかった。
今は音信不通なのでそいつらがどうしてるかなんて知らん。
というよりわたしはあの部屋を出て今暮らしてる街に来た時に全てを捨ててきた。
嫌な記憶出来事、人間。
友達なんて端からいなかったからそこは気楽だった。
一時はそこに拘った事で心病んだりもしたけど、そこは断捨離ですよ。
関係性を捨てて、そいつらの価値観も捨てたら一気に楽になった。
長じて他人に委ねる事を辞めたらもっと気楽になった。
人生なんてこんなものですよ。
ほなね