春の嵐とまでいかないけど、それなりにおっさんであるわたしにとって外出するのが億劫になる天候。
目が光に弱いから、こんな日でもサングラスは必須になるが、こういう日だとサングラスで視界が遮られるのは本当に怖い。
結果から言うと外出先で小さなイラっとする事が重なった。
よく日本人の民度は高いなんて言うけど、今日わたしが目の当たりにしてきた事を羅列すると、決して高いとは言えないと思う。
控えめに言ってもやや低いのでは?とすら思う。
何でかって、本当に周りを観ないし、そこで立ち話をしている事がどれだけ周りの通行の妨げになってるかすら気にしていない。
精神性と危機感両方の意味においても民度は低いと感じた。
注意すればいいのだけど、このご時世そんなことすりゃ直ぐに騒ぎになるから息が詰まる。
そしてどういう訳か気圧の影響か判らないけどわたしは危険だと判断し、用も早々に済ませて帰路を急いだ。
とにかく外に居る事とか、バスの時間が紙一重で間に合わないとか、要するに間が悪い日だと感じた。
わたしの場合間が悪い時って高確率でトラブルに巻き込まれるか、自分自身がトラブルを起こしかねない。
こういう日は本当に引き籠るに限る。
そして面白いと思うのは、こういう日に限って意外な事で泣かされる事。
それは嬉し泣きとかに近い。
うまくバランスが取れているのかよく判らないが、まぁこういうものなのだろう。
で、精神性に一瞬触れたが、日本語に訳された海外の哲学やら思想を含めて日本人が精神性を健全に保った事があっただろうか?と感じた。
よく調和なんて見聞きするけど、日本史において一度たりとも調和の取れた時代が存在したのだろうか?
意図は判らないけど、最近やたら日本を持ち上げる動画や記事が視界に入ってくる。
裏を返せば、日本以外の諸国で暮らす人々の精神性はもっと稚拙という事になる。
その真偽はともかくとして、日本人を買いかぶらない方がいい。
何せ見本を示すべき大人が圧倒的に少ないのだから。
日本とか日本人を批判したい訳じゃない。
わたしだって日本人であり、書いてきたとおり、大人になりきれない一人でもあるのだし。
けれどわたしはここで一貫して書いてきた事だけど、一度でいいから競争止めてみませんか?と言い続けてきた。
わたしに見えていた周りを観ないとか、身勝手さとかって、詰まるところ競争が齎した副産物でもある。
尤も分かり易いのが時間に追われるってアレです。
バスの時間と書きましたが、それこそがわたしの身勝手であり、わたしの都合によるモノ。
無論競争しているつもりはないが、他人の目にどう映ってるかなんて判りようがない。
競争に見えているのかもしれないし、別の何かに見えてるかもしれない。
出来るだけ他人の妨げにならぬようひっそりと暮らして、外出しても邪魔にならない場所を最優先で探す癖がついている。
でもねぇ…
駅の構内通路のど真ん中で4~5人が固まってスマホ見ながら会話してるっておかしいでしょ。
話すなら脇へ移動するとかって考え自体が無いのだから注意しても無駄な事は判りきってる。
んでわたしが言いたいのは持ち上げるのは勝手だけど、勝手な期待は不当な裏切りとなって自分を切りつけので、期待しないでください。
勝手に期待して、勝手に裏切られたとして、当たり散らしてくる事こそ本当に不当な行為ですよ?
喜びはきっと自分の心の中に在る。
でもそれと向き合おうとしなければ何時まで経っても見えてきません。
あろう事か自分の心の中以外の物事に価値観や幸福を委ねるのはきっと間違ってます。
周りも観て、自分の心も観ないと本当に手痛い目に遭います。
他者と心で繋がるとかって、最低限こういう事が出来た後の問題じゃありませんかね?
その最低限が出来ていな時点で民度を問われても困るのです。
自分に心が有ると思うのなら他人にも心が有ると考えるべきだし、悪意や作為も同じです。
まず武装解除?出来る場所に身を置くとか、それが出来なくても、静かな場所とか。
安心できる場所なってその後の話です。
まぁこういう事言ってても結局安全圏からの物言いと言われればそれまでです。
ほなね