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This Armor

古今東西何でも研究所

イデオロギーのお話でも

まぁ昨今某動画や某サイトで展開されている陰謀論とその根拠となっている共産主義ですが、
多くの人はここを勘違いされていませんかね?

俗にいう中共の掲げているイデオロギーは共産主義ではなく、覇権主義である事。
しかも陰謀論はその背景に黒幕がいると説いています。
まぁここまではいいとして。

先日愛産の動画で「わたしがイデオロギーを捨てた理由」なるモノがありましたがアレは傑作でした。
だってお互い対峙する場面にあって、ふとした切っ掛けで双方が同時に大笑いしたのですから。

わたしはこの出来事に一つの大きな真理と可能性を感じました。

とどのつまり「無償の愛」とか「光」とか訳の判らない飾られた言葉なんかより、誰かと一緒に笑う事、泣く事こそが大事だと確信していますよええ。

愛は無限でも無償でもないかもしれない。
けれど愛どころか敵意や憎悪むき出しでもひょんなきっかけで笑い合う事は出来るじゃありませんか。

多分愛とはその先にあるものなのでしょう。
わたしはそう考えています。

それに以前此処でも触れていますがわたしは「愛される事」を感じ取る感性が欠如しているのか、或いは鈍いのか判りませんがとにかく鈍い事は事実です。

だからという訳ではありませんし、相応に大人としての振る舞いや見解を持ち合わせているのでそれを誰かに押し付ける事も、求める事もしません。
ただ自然に好きになればいいだけの事です。
ありのままの相手のありのままの心を好きになればその延長線上に愛は存在すると信じていればいい。

そしてわたしのイデオロギーのお話ですがこちらは単純明快。
「小難しく飾った屁理屈は相関関係を妨げるモノ」としてあまり必要としていません。
本当に守りたい存在が何なのかすら判り難いこのご時世にあって、イデオロギーや愛を説くのはある意味時間の無駄であり無意味にもなりえるし、まずステップを踏みましょうよ。
好きになればいい。
沢山笑って沢山泣く。
誰かと一緒にそれが出来たならその時点で多分そこに愛は存在しているのでしょうから。

それに言うでしょ?
「考えるな感じろ」
これこそまさに真言であり、事実だと確信してるので、わたしにとってイデオロギーはそんなに大事な問題ではなくなりました。

視点を変えてみればそう言う事って己を縛り付けますからね。
執着と言ってもいい。

この執着こそが人間を世界を必要以上に執拗に難しくしている事も気づかなければいけません。

執着は往々にして己を焦がし、誰かを巻き込んで焼き尽くすす事が多いですからね。

だからまず、この「執着」を「手放す」事から始めるのもいいと思います。

それこそ生活も執着の一つではあるからそれを手放してみるのも一計です。
そうする事であらゆる物事や人をフラットに何の貴賤も無く観られるようになるのではないでしょうか?

翻ってそれら「執着」を煽り間違った「価値観」を押し付ける内容のモノは身勝手で発信してる本人の独善と言えますから結構な判断材料になるのでは?

自称「ライトワーカー」とか自称「メッセンジャー」にこのタイプが多く見られます。
言葉で説明するのは難しいですが、簡単に乱暴な言い方をすると「なんか好かない」と言う程度ですが、このセンサーが誤作動した事は1/100くらいです。

大事な何かを感じる特定のセンサーが鈍い代わりに別のセンサーが発達したのか、足りない分がそちらに補われたのか判りませんが、これもわたしなりに手放す事で自然に振舞って身に着いた感覚としか言えません。

要するに執着や柵があるところにイデオロギーも存在していて、それはほぼセットだから、手放す事で全く違う世界が見えてくるというお話でした。

そして何度もお断りしておきますがわたしは特定の宗教や団体、組織に帰依帰属していません。
ただの一般市民です。

ほななん。
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