まんま言葉通りの意味ですよ。
先日某企業がヘイトスピーチと弁護士会?通じて警告を受けたらしい。
まぁ企業が憎悪を明確に言語にする必要があったのか?という問題ではあるのだけど、それに対して脊髄反射のように差別だと声高に叫ぶ方も問題あるよ。
ま、このことは横に置くとして、嫌い=差別とするのは稚拙で滑稽極まりない。
嫌いなら関係を持たなければいいのだから、それでいいじゃないか。
昨今差別をなくそうとか、それがグローバルスタンダードとか唄ってるけど、無くそうとしている限り差別は無くならない。
これは以前触れた事。
差別の何がいけないかを定義するならその差異を以て不当な扱いや待遇を受けるという事。
これが概ね差別の概念ではあるのだけど、どうもそこらの差別スピーカーの発言見てると後半の文章を端折って差別そのものが自分達にとって不当だとしている所に問題がある。
簡単に言うなら差別をされたくなければしなければいい。
不当な要求をしなければいい。
不正な手段で魔女狩りのように差別をなくせと言わなければいい。
こんな簡単事を拗らせて面倒事にしてる。
それを煽る連中が存在する。
差別は金になるという文言を見た事もある。
実際金になるのだろう。
何らかの形で裁判沙汰にして慰謝料と言う名目で金をふんだくるのだから金になるといえばその通りだろう。
従前申し上げていますがわたしは中道やや右寄りです。
けど現実に人と接して民族関係なく不当な要求、不正を強制する連中を見てきた。
その中にはあっちの人間も含まれている。
ただし経験で言うなら本当にあいつら日本人の理屈が一切通用しない。
これは日本人以外の外国人ほぼ全てに言えるのではないだろうか。
何せ彼等彼女達は本音と建て前も知らない訳で、当然と言えばそうなるが、現代日本社会の複雑怪奇の妙を判らせるのも無理だと思う。
それでも仕事の都合で日本に滞在しなければならぬ場合、少しは日本人の事を知ってほしい。
時に判り合えぬ時削り合う事も必要な時はある。
だが彼等の場合それは多くの場合不正不当な手段である事が多い。
それは祖国でも同じ様に不正不当な訳で、必然として海外で同じ事をしてもそれが嫌われる原因、トラブルの原因になっても国に帰ればいいくらいに考えてるから始末に負えない。
細かい事はいい。
日本には郷に入れば郷に従えという諺がある。
そんな諺関係なく、多くの日本人はトラブルを不正不当な手段で解決しようとする人は少ない。
だって海外に逃げる訳にもいかないから、それが後々大きな付けになって廻ってくる事を知っているから。
同時にそんな手段で解決を図ったとこで周りの目は厳しい。
殊に社会生活を営むにあたり誰も傷付けない奪わないを前提とする事が多いから、不正不当な手段を用いれば居場所を無くす事を知っている。
居場所があったとしてもそれは恥知らずと言う行為に他ならず、それを恥と思わない場合人間性よりも人間であるかどうかが問われる。
同時にこれが昨今言われるところの同調圧力にすり替えられてもいる。
圧力でもなんでもない。
矜持に基づいた精神性だと考えてほしい。
旅の恥は掻き捨てなんて日本人同士では一切通用しない。
一時の恥が一生の恥となる。
こういう所を一切顧みる事なく自己都合ばかりを押し付け、それが通らなければ不正不当な手段を行使する。
こんなんじゃ嫌われるのは当たり前だよ。
差別だと叫ぶ前に己に落ち度はなかったか、一度よく考えてください。
それが出来ないから住み分けを考える、それを言葉にすれば差別と叫ぶ。
おかしくないか?
本来住み分けるどころかあなた方は自己都合で滞在しているのだから、帰るか余所へ行けとなるのは日本人の常識なんですよ。
関わらず住み分ける事を考えているとろが、反省してるように見えるのはあなた方の自己都合とバイアスによるものです。
少なくとも私はそこに付け入る行為を卑怯と呼び、行使の内容によって不正不当な要求と言います。
ただ、某企業の場合あくまでも公人としての発言としては問題大ありだとは思います。
でも他に言い様は無かったとも思います。
嫌いな事を嫌いと言って何が悪いのでしょう?
某界隈ではワンネスとか言うけどわたしはそんなものクソ喰らえなんです。
違いを認めず無理くり一括りにするなんて狂気の沙汰です。
違いを認めて上で同擦り合わせるかが問題であって、違いを認めるところがスタート地点だと思うのですよ。
そしてお互いを時間かけて知っていく。
知った上でダメなら無関心な隣人である方がお互いに健全というものでしょう。
無理に争ってお互いの主張を通そうするから争いになる。
そんな簡単な理屈も判らない、知ろうともしないなら、よそへ行ってくださいとしか言えなくなる。
界隈の主張はともかく、いま世界は大きく変わろうとしています。
それが良い方向なのか悪い方向なのか判りません。
そして人間は自分が思ってる以上に愚かです。
同時に思っている以上に賢くもあります。
人が心の中に陰と陽、善と悪を併せ持つ以上これを解決する事は極めて困難な事。
それを超える、解決を図るとしてもそれがどんな形になるかなんて多分誰にも判りません。
大きな犠牲を伴うのかもしれないし、犠牲を伴わず解決できるかもしれません。
それでも人が己の愚かしさを顧みる事が出来なければいい方向に変化する可能性が極めて低い事だけは変わりません。
わたしはどっちでもいいです。
ほなね。