子供と遊ぶのは楽しいし可愛いしで好きなんだけどね。
自分が父親の立場になってもならなくても他人の子供の在り様をそれなりに観ていると可愛いだけでは済まない。
よくある光景で買い物やらで外出すると子供連れの家族が子供そっちのけで子供が自分本位に走り回る騒ぐを目の当たりにすると一概に可愛いだけでは済まない。
少子高齢化と言われているけどこれの本質は扱いやすくて賃金の安い労働力と搾取する対象がいなくなると年寄りが困るというのが一側面。
けれど中には本当に産みっぱなしで後は放置という保護者もいるしで本当になんだか気の毒にも思うし、哀れとも思う。
その反面でそんな家族の在り様もいいモノなのかもしれないという想いもあったりで。
振り返ってみるとわたしは可愛げのない子供だったし、それが許容されたのは時代もあっただろうし周りの大人もそれなりに懐の深い人だったように思う。
もし自分が家族や所帯を持つ者だったら多分こんな事は言ってない。
もちろん反出生主義も生い立ちに拠るところが大きい。
だけどそれだけじゃないんだ。
今は小さくてかわいいお子さんがいずれ大人になるにつれいろんな事を覚えてやがては汚い大人になるのだと考えると気が滅入る。
それは人が産まれて生きていく以上避けられない事だからそんな事気にしたところで意味がない事くらい承知している。
しかしこうも考える事がある。
果たしてきれいな大人ってなんだろう?と。
特にきれいごとでは解決できない事が存在する以上それを打開するには汚い手段も必要となる。
これも多分必要悪の一つなのだろう。
善悪が独立して存在しえない概念である以上この理には抗えない。
それにわたしもそこまで清廉潔白でなければいけないと考えている訳じゃない。
要するに…「猿じゃないんだから子供連れの保護者は目を離さずきっちり見ろや!」という事です。
特に分別のつかない小さなお子様が事故を越した場合それは大人になるにつれ呵責となって大きく圧し掛かるのだし、そんな人生を歩ませたくなければやはり必要以上に見守ってきちんと諭し諫めるしかない。
過保護だろうとなんであろうと「やっていい事悪い事の区別がつかない」子供は人間扱いすらされない気の毒な事態に遭遇する可能性だってあるのだから。
その分別がついてさえいれば後は一人の個性として尊重すればいいのだろうし、尊重と甘やかす事も違う事を保護者が認識していないとね。
偉そうな事書いたけど、本当に気の毒で哀れというのが本心です。
それに…如何に立派に見える人柄に成長したところで他人との摩擦や軋轢も回避できないというのが人生です。
ほなね。