最近LGBTに関する記事が目立つけど、この記事を読んだ感想としては「体が女性で性自認が男性の場合こういう訴訟沙汰にはならないのではないか?」だった。
これも捻くれてるかもだけど、わたしが言いたいのはこの一連の出来事の裏に「男性差別とか男性蔑視」が潜んでいるのではなかろうか?という事だ。
記事を読んだ限りでは体が男性で性自認が女性の方が、女性用トイレの使用をめぐっての裁判だと認識している。
もちろんこういう問題は本人にしか判りえぬ苦痛があるので、「親告罪」の側面も否定できない。
かと言ってこの場合のトランスだと、ノンケの女性から観れば異分子と見られるのも仕方がない。
況やこれが公衆浴場利用の有無となれば問題はさらに面倒な事になるのでこの例えは割愛したいところだが、本質が同じなので例えとしては間違いの少ない事だと思う。
単に見た目と見た目に反した性自認が問題視されているのだけど、ここに余計な団体が絡むとさらに面倒な事になる。
しかも今回の判決は一審で原告の勝訴に対して高裁で逆敗訴となった。
その主文もなんだか無難に誤魔化せればいいや程度の事しか唄っておらず、これでは何の解決にもなっていないという代物だった。
これでは更なる問題を起こすのは必至で、しかも政府ではLGBT法案なるモノを審議しているタイミングもあったりで、更に更に面倒な事になるのは明白。
今回はあくまでも告訴内容の事実と判決の事実だけに注視するけど、この判決が不当とも妥当とも言えなくて、なんとなくやり過ごした感満載なだけに、モヤッとする。
だって今回の判決でその手の団体が騒ぐのは目に見えてるし、彼等彼女等の要求が不当か妥当かが問わる事態が必ず訪れる。
そこに来て司法は前例や事例に拘るあまり本当に審議しなければいけない事を蔑ろにした判決を下す事しか出来ないでいる事自体がこの国の司法が如何に腐敗しているかを物語っている。
しかもそれはLGBTとノンケの乖離と対立の構図を産み落とす事に繋がる。
国家訴訟法による裁判だから裁判員は皆無だったと思う。(この辺りは詳しくありませんので悪しからず)
では仮に民事で争った場合だけど、ここに招集される裁判員には3人の実情を知る当事者が必要になるのではないか?と思うのだけど、それはそれで今度は法廷でLGBTとノンケの対立が起きそうでかなり頭の痛い事になりそう。
で、わたしがここでお勧めするのは某動画にもトランスで手術を受けて現在は統合された身体で生活している人や、そういったブログを読む事をお勧めする。
一般的に?おチャラけているように見えるが、彼等にしか判らない苦痛が赤裸々に語られている。
中には手術を受けて望む体になっても心を病んだ末に自死を選ぶ人も少なくないそうだ。
そういう人達の日常や考え方に触れて観なければこの裁判の意味もまた違った側面が見えてくるはず。
原告側には気の毒な判決になったと思うけど、その一方で「あなた方LGBTの要求全てが正しいと認識されるには相応の時間がかかり、それは時として不当要求と看做される事がある」事も認識してほしい。
これはあの団体の罪とも言える事だけど、彼等は自身の問題を政争の具に供している、或いはそう誘導されている事に気が付こうとしない。
何故か?答えは簡単。
自分の事しか考えていないからだよ。
もっと周りを見て、自分達がノンケからどういう風に見えていてどういう認識なのかをよく知る必要があると思う。
そうやって互いの認識をすり合わせて理解を深め合う事が本来の目的な訳でしょう?
少なくとも政治利用されていると認識した時点でそこは気付こうよ。
ほなね。