極左暴力とかってハッシュタグが上がってきた。
国葬に反対する人は皆そうらしい(笑
ところで悪行の定義とはなんでしょう。
一般的に人が嫌がる事を行使する事を指す場合が概ね一致しているようです。
という事は国葬を嫌がる人を一括りにしてレッテルを張る連中も悪党という理屈が成立します。
大ブーメランですね(笑
言っておきますが、国葬に参列するだけが故人を偲ぶとは限りません。
わたしのように消極的に反対する立ち位置でも、偲ぶ気持ちは変わりません。
この先彼の功績がどのような評価になるかなんて誰にも判りません。
もしかしたら後世に悪名を残す可能性だってあります。
ですが現時点では誰にも判らない事です。
判る人がいるとすればそれはきっと彼の死を利用する連中でしょう。
一人の人間の死を政治利用する事は悪行ではないのでしょうか?
それは多くの人が嫌がる事ではないのでしょうか?
特に日本人は民度が高いなんてほざいてる連中はこれを殺し文句に利用してきます。
これは悪行ではないのでしょうか?
何時から日本人の民度は高いと言われるようになった?
そもそも高いも低いもなく、一個人の死に対して是非がなく、ただ謹んでお悔やみ申し上げますが日本人じゃなかった?
正直こういうやりとりって見てるだけで反吐が出ます。
国葬自体に正義も不義もない。
死ねば皆仏としてきたのが日本人じゃなかった?
そういえばある動画で日本人の死生観に結び付けて蘊蓄垂れていたものがあったけど、そう言う事何も知らない人は一度川中島の古戦場に足を運んで下さい。
かの地には敵も味方も一緒に埋葬した塚があります。
かの地だけではありません。
平安時代の戦にだって敵将の首級を返して荼毘に臥す仕来りが存在しています。
日本人の民度ではなくて死生観を論じるならまさにこの辺りをよく知る必要があるのではないでしょうか?
陰謀論、政治をテーマにした動画でこういう事を死生観に結び付けて誘導するやり方も反吐が出ます。
反対の見方をするなら、一々政治や陰謀論を死生観に結びつけないで頂きたい。
他国の死生観はよく知りませんが、日本人の多くはこういう死生観を心に留めているのだし、もし死して尚許せなかったとしてもそれ以上何が出来るのでしょう?
死者に鞭打つ行為は恥ずべき行為であり、明治のどこぞの学者?見たいに尊氏さんの木造を鞭打つなんて厚顔無恥もいいところでしょう。
嘗て賊軍の将であったとしても、それは過去の事であり、過去を一々掘り返して論じるなんて意味がありますか?
過去の人物を現代で裁く事で現代が少しでも好転するでしょうか?
国葬に関しては賛成も反対もただ静かに厳かに祈ればいいのだと思います。
それ以上もそれ以下もそれ以外もありません。
民度云々宣う前に己の発言をよく考えましょう。
きっと恥ずかしくて尋常じゃいられなくなるはずです。
それで大義が立つとか言ってるようでは末期症状です。
その時点で人間であるかを問われるレベルだと考えます。
ですが税金云々の面で言うならこういうご時世ですから、そのお金を民間人の暮らしが良くなる政策に使ってほしいというのは率直な気持ちでもあるでしょう。
つまり切り分けて考えなければ民度もへったくれもなくなってしまうのです。
もし本気で諸外国に対して日本人の民度なり国民性の優位性を示したいならまず考えましょう。
そして身を質しましょう。
その行為自体が奥ゆかしさになるとは思いますよ?
けれど行動に移す前によくよく考えないと日本人に限らず人間は何処までも厚顔無恥で悪逆非道に堕ちてゆくことになるでしょう。
というよりもう堕ちているのでしょう。
自覚すら出来ないとあればそういう事ですよ。
さてこれらの事、何かに似ていると思いませんか?
そうです。
ハラスメントですよ。
他人に指摘されて気が付いて身を質す人ならまだいい方だけど、指摘されても自覚しない方は自らが招くその愚かさによって滅び朽ちていく事になります。
これは事実ですよ。
誰にでも起こりえる事です。
だからよくよく身を質し、行動する前に疑う事が必要になってきたのです。
今までならそれで罷り通った事もこれから多くの事が通用しなくなる事が増えてきます。
世知辛いと感じるのかもしれませんが、本来あるべき姿への回帰と捉えるなら人間はまだまだ捨てたものではないのかもしれません。
ほなね。