時々フッと気がいた時に槇原敬之のどんなときもを聴いている。
PVの内容は30年前当時のモノだし、あの頃のあの雰囲気を思い出す。
考えてみれば当時はネットもないし、携帯もない。
精々ポケベルくらいで、シャワートイレに至っての普及率はまだ50%も無かったんじゃないかな。
今この歳になって、当時を思い返すからこそ言える。
「若かった」と。
当時の二十歳と現代社会の二十歳は月と鼈くらいの差があるんじゃないかな。
賢さとか、分別とか?
でも何だか皮肉だと思うのは現代は個性やら多様性やら謡うけど、30年前当時の方がそこは緩かったし認められてもいた。
バブル崩壊という30年を引きずる大きな切っ掛けが起きても世の中はまだ現在ほど世知辛くもなく、良き人もたくさんいたように思う。
少なくとも無敵の人なんて造語は無かったが、一部で陰惨な事件はチラホラあったくらい。
見える景色の全てが今とは違って見えた。
それは若さも反映しているけれど、何だか華やかに見えたものだ。
だってあの当時現代と比べるとお金に困ってる人って圧倒的とまではいかないにしても少なかっただろうし、二十歳くらいの子が車買って遊びまわるなんて当たり前のような時代でもあったし。
その代わり嫌な言葉も流行ったよねw
アッシーとかメッシーとかキープとか笑
あの当時二十歳前後だった人は現在アラフィフでそれこそ家庭を持ってお子さんもいる人だって少なくない。
時が移ろうように人も街も時代も変わるけど、時代を問わず歌い継がれ愛される楽曲が存在している事を嬉しく思うのだよ。
坂本九さんの「上を向いて歩こう」のように。
今現在だって素敵な楽曲は沢山存在するけど、この先20年30年と愛されて残るかは誰にも判らない。
でも音楽は何時の時代も人と共に在り、人に寄り添っている。
ほなねん。