この世界を一言で表現するならまさにこの事だろう。
あと泡沫とか?
時代とか誰かの作為が作り出した価値観に踊り狂う問い意味ではまさにこれが適切かもね。
そんなわたしもご多分に漏れず踊ってはいる。
誰かが誰かの思惑や作為を狂気としてしまえばそれは途端に独り歩きして、
排斥か容認を招くのはいつの世も同じ事なのだろう。
それがこの30年で変わろうとしている。
自分の外にある物事で踊る人が減ってきた。
言い換えれば気づきがそれを促したと言ってもいい。
コペルニクスよろしく既成概念を覆した先にこそ事実が存在するというもの。
殊にこの一連の騒動で問われている命か金など言うに及ばない。
結局誰しも己可愛さに判断を鈍らせるものだが、これに関してはそれがイコールで繋がっている紛れもない事実だから迷う事はない。
言い古された言葉だけど所詮命あっての物種である。
翻って今まで何かと価値観を笠に着て他人を排斥し時として死ねとまで宣った連中はこれからその報いを受ける事になるのだろう。
だが同情の余地はないし、同情している暇もないだろう。
これから依存を捨て命に紐づけられた人生を構築するのだからそれこそ同情の時間がない。
気付いている人は既に20年以上前からそっちにシフトしているし、実際そういう人と接すると本当に暇がないと感じる。
所詮己の外側に用意されていたものなど他人が作り上げた虚構でしかなかったのだ。
けれどその虚構の中にはいくつかの事実が存在した。
本物ってやつね。
己だけじゃなく気づきや大事な物事を促してきた人はかなりの数に達する。
今までは面倒な貴賤や柵で埋もれてきたであろう事がこれから王道を歩くのだろう。
とある方面に膿を出し切るとあるが、まさにそんな過渡期なのだろうし、
膿を出すには痛みを伴う。
何故かと言えばそれは時間をかけて己の心に深く刻まれこびりついているから、それを引きはがし出し切るのだから痛みを伴うのは当然の理と言えよう。
古い脳をそのまま使っていれば使っていない部分が収縮して使い物にならない事と同じ。
心もまた同じように感じる感性を研ぎ澄ませておかなければ劣化する。
人が今以上に楽に生きられるようになるのか判らないけど、悪い変化ではないように思うのだ。
必要のないものは淘汰されていくのは自然の摂理。
摂理に抗って生き延びてみたところでそれはいつか必ず膿と言う形で腐り果て、排泄されていく。
わたしももう少し肚に溜まった膿を出し切らねば。
ほなね。