毎年恒例は不謹慎だけど、やはり毎年この日は必ず更新したいと思う。
前の大戦がどのような事だったかは各々調べるに任せるとして、現在進行形の事を書いてみる。
まず…というよりわたしの主観と解釈となるのだけど、過去に起きた遺恨引きずってはならない。
もし出来るなら「復讐」や「憎悪」を手放すに越した事はない。
といってもこんな事わたしが言うまでも無く、現代人の多くは過去の大戦に対してさほど遺恨や憎しみを抱いてはいないようだ。
問題なのは未だにこの時期になるとあらゆる手法で忌まわしき記憶と銘打った映像作品が跋扈する事だ。
いかに役者さんが当時を知る人にその様子を訊いて役作りしてどれだけ真に迫った作品に仕立てようとしたところでそれは”過去の出来事”に過ぎず消す事は出来ない。
ならばそこから学ぶしかあるまい。
武力衝突を回避するには何が必要で何が足りないかをよく考えるべきだ。
そして原点に立ち返り人生とは「命あっての物種」である事をもう一度見直す事。
わたしがあらゆる物事や人を介して感じてきた事実のひとつに「心豊かな人は生きる事に喜びを感じている」なるものがある。
これは今もこれからも多分変わらないのだと思う。
ただしどうしても貧困とか利己主義がそれを阻害してしまうのも事実だから、一様に心の豊かさを表現する事は難しい。
そしてもう一つ、「許せないという感情」と「許してはいけないという理性」をきちんと切り分ける事。
大事な何かを失わしめるのが暴力、その根源に存在する憎悪や嫉妬。
これらと向き合いそれが如何なるものかを知る必要がある。
七つの大罪とはよく言ったものだが、例えばこれの反語を自分なりに解釈するのも有効な手段だと思うのだ。
もちろんわたしの場合だが、それを考えると必ず「愛」とい存在が否応なしに立ちはだかってしまう。
しかし何かを掴みかけているし、掴めるならその意味も知りたいと思う。
何であれ何かを許す行為はとても難しい事だけど、許す事で見えてくる事、掴める物事は計り知れない。
だがこんな事を書いてるわたし自身が「許してはいけない」対象を抱えている。
アレたちを許す心算も無い。
全くわたしは愚か者だよ。
ほなね。