9年前の今ぐらいの時期日本では「絆」を強調していた。
と言っても某広告や誰かしらの作為によるものだとは思う。
そして現在日本では「離れて過ごそう」というスローガン?が挙がっている。
何とも皮肉な現象である事か。
わたしは絆を否定はしないけど、おひとり様歴も長いし慣れもあってかやはり誰かと関りを持つのは苦手。
なので現在の「出来れば接触を避ける」と言う現象に対しても違和感はない。
特に昨今の騒動においては感染していようとなかろうと他人と距離を置いて接触を避ける事が感染拡大を防ぐには最大限の効果を発揮する。
さて何故このような事を書いているか。
感想文でもと思ったのだけど無理なので思うままに。
恋妻家宮本と言う映画を拝見しました。
テーマは熟年離婚と夫婦の在り方のようなものになるのかな。
もう一つは正しさよりも大切なのは優しさと言う事になるのか。
何とも身につまされる内容でありましたが、それでも誰かと一緒に居たいとか、好きでいる気持ちはとても素敵な事です。
現実は映画やドラマのようにはいかないにしても、気持ちや心はその人の自由だし、とても縛れるものではありません。
んでそういう思い合う気持ちとか繋がる事が絆なのだろうと理解した次第。
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これもどうしてこういう書き方になっているのかは、やはりわたしが変人なのだろう。
今まで何度か交際をしてきたが、なんだか絆と言う言葉でそれを理解したり受け入れる事が無かった。
むしろ初めてあった気がしないとか、ずっと一緒にいたような感覚の方が大事だったから。
言葉の違いだけなのかもしれないけど、そもそも言葉にこだわる必要も無い訳で。
絆でも好きでも愛してるでも相手に伝われば言葉は問題にならない。
だって大事なのはあなたを大切に思っていますとかの方でしょ?
無論それも世間では「愛」と言うらしいがわたしにはこの「愛」と言う言葉が重くてね…
何だか己や相手を縛り付ける呪いの言葉に近いような。
仮にそれが呪いではなく言葉通りの意味を表すものだとすれば、相手の生き方を阻害したり障害になるような事をせず相手の生き方を尊重する事が愛ではなかろうか?と考えているに過ぎない。
つまりわたしにとっては愛と言う言葉は呪いと祝福の表裏一体に思えてしまう訳。
それでもあの映画のような関係性はとてもいいと思うし、理想通りは難しいけど、形は人によって違うのだから筋書きや結果に拘る必要はない。
けれどとてもいいセリフだったのは、天海さん演じる妻が安倍さんに対して「あなたの眼の前に居る男はとても誠実だから胸に飛び込め」という趣旨の事を若い頃の自分に伝えてと言う場面でした。
あんな風に言葉と心を違えていても大事な何かをきちんと観ている、見えていた事はとても素敵な事だし、そんな人がずっと傍に居たのだから素晴らしい事なのだろうと感じた。
感想文は苦手なのでこのへんで。
ほなねん。