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This Armor

古今東西何でも研究所

誤謬に惑わされてない?

本の要約動画なるモノを観たのだけど、終始「幸福度」が基準になっているので、途中で見るのを止めた。

多分多くの人が幸福になりたい、できれば何の不安も心配もなく生活したいと言うのが本音だと思うのね。
でもそこに幸福度という尺度だけで考えると矛盾が生じる。

本当の幸福なんてわたしにも判らないけど、少なくとも幸福である必要性と言う段階から考えないとある種の同調圧力にもなってる幸福度と言う言葉に惑う事になる。

以前書いた事あるけど、わたしの知人に業界では大名クラスの人物がいる。
でもその人は全ての役職を降りて引退して悠々自適の時間を手に入れたはずなんだけど、全然幸福そうに見えない。

現役の時もそうだけど、人とお金に囲まれて傍から観たら幸福そうに見えていたとは思う。
でもその頃からもうお疲れ気味で出来ればもう全部手放して自由な時間が欲しいと思っていた様子だった。

でもいざ引退したらやる事がなくて退屈に押しつぶされていそうな雰囲気。

こういうご時世を過ごしてきた人の多くはもう理解してると思うけど、お金持ち=幸福とは限らないし、お金で心を満たす事も難しい。

かと言ってお金は無視できない事も以前書いた。

翻ってなんか名古屋で可笑しな事件が起きたみたい。

SNSの再生数を伸ばそうとしたのが動機らしいけど、アレも一種の自己肯定感の表れなのだろうか?
件の本の要約の一つに自己肯定感を満たすとは書いてあった。
でもその方法は一つじゃないし、共通認識にまとめる事も困難な事。

注目されてる=幸福?
そうじゃないよね?

注目されているという事は例えば動画を投稿しても一挙手一投足を見らている。
それが全てじゃないにしても、そこからある程度の人柄なんかも観られている。
つまり自分が見てほしい一面と、他人が見ている一面は必ずしも一致しない。

ああいった動画を投稿する人たちのどれくらいがこの事に気が付いているだろう?

他人にとって琴線に触れる場合もある。
そうなると一部の過敏なユーザーはそいう所をみつけて叩く事になりはしまいか?

ちゅーばーも一つのクリエイターではあると思う。

けれど投稿している人がそれをどう考えているかも自由ではあるのだけど、単に注目を集めたいというだけで、真面目に企画しなければそれなりのモノにしかならないのは当たり前。

だから芸人と言われる人は試行錯誤して、人を笑わせる事を真剣に考える。
芸人じゃなかったとしても、音楽家ならば迎合するかしないかで悩む。
大衆受けするモノで一発当ててから自分のやりたい事をやるか、大衆なんて端から無視してやりたい事をやるか。

そう言えばこういう内容の動画も上がってた。

某著名人ミュージシャンの話だったけどね。

どの道警察沙汰になってる時点でOUTだし、リテラシーやモラルなんてもう崩壊している。
昔以上に「やったもん勝ち」になってしまった。

自分の幸福度を甘受する為に他人を巻き込んで貶める事が果たして本当に幸せかどうかなんて、言うまでもないね。

ちなみに巻き込んで貶めて傷付けた場合ですが、もれなく死ぬまで続くであろう「呵責」が付いてきます笑

まぁ最近のおバカさんたちよ、大人と言う生き物は君達が思っている以上に後悔と呵責を背負って生きてるものだよ。
そしてその経験から君達を窘めるがそれを年寄りの冷や水と言わず、真摯に受け止めてほしい。
中にはそういう事を全く無視した挙句、事件を起こし刑務所に収監なんて事も起こるのです。

どうして呵責や後悔を背負ってほしくないか?
君達にはピンとこないかもしれないが、それが場合によって死ぬことよりも辛い事だからだよ。

そして幸福度なんて誤謬に踊りなさんな。

幸福なんて人の数だけあるし、「どうして幸福じゃなきゃいけないんですか?」と言う人も居る。
共通認識でいう所の幸福とは概ね人や仕事に恵まれ、稼ぎにも困らない事を指すのだと思うが、
その対価として「自分の時間を生きる事」の一部を犠牲にしている事をお忘れなく。

そして幸福に懐疑的な人の多くはこの自分の時間を生きる事を大切に思っている。
だからこそ人の関りを最低限に断捨離する、時間を取るために稼ぎを犠牲にして融通の利く職に就く。

そして何より配偶者やお子さんが究極的な幸福に思われがちだが、家族というものは器、けれど揃っていればいいというものでもない事も忘れないでほしい。

己の幸福を優先する事で巻き込まれる人、傷つく人が居ると言う覚悟をしても罰は当たらないのではないかな?

ほなね
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