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This Armor

古今東西何でも研究所

Time After Time

言わずと知れた80年代の名曲です。

もう40年過ぎました。
その40年の間に多からずわたしにもいろいろありました。

不本意な事理不尽な事、過失で人を傷付けた事、楽しかった事、後悔した事。
まぁいろいろです。

時が過ぎて今思うのは全ての過去が本当に過去の出来事となり、そこから学ぶ事があったり、反省する事があるのだけど、全てが思い出に変わりつつある。

大人の振る舞いをしなければならないとき、子供のように在るがままに感情に身を任せる時、残ったのはその使い方とか使っていい時と場所のようなシステムめいた仕組みだけが残った。

今時の若い世代にはこういう事って判りづらいのかもしれないね。
だって今時の子達っていろんなところから情報を拾って取捨選択して少なくとも40年前の10代20代には真似できない。

でもそれが良い事とも悪い事とも言い切れない。

早く大人になるのがいい事か?格好いい事なのか?は何時の時代も疑問符として残り続けてきた。
それに大人なんて言っても単に濁という苦さをのむ事とも言える。

出会いと別れなんてのが割とそれに近い。
出会ったときはもっと好きになりたいなんて、考えるものだけど、時間が過ぎてお互いが当たり前に存在する段階になって気が付く。
それがとても甘い毒だったと。
そして別れて気が付く。
その甘い毒は愛しいと言う気持ちが無ければ存在しなかったと。

わたしはよく依存について発言しているが、人が本当に唯我独尊であるとするなら恋愛や結婚は必要のないモノとなる。
しかしこれが横暴で暴論である事は言うまでもない。
とある詩人の言葉に「人の子に生まれなかったものは幸運だ」とあるのだけど、これもまぁ依存と言うよりも人として生きるという事で柵に囚われて自由を損なってしまう事だとわたしは理解している。

けれどこう書いても依存はある種甘い毒である事も一定の事実だと思う。

でもそんなの他人にどうこう言われて決める事ではない。
自分で選べばいい。
例えその先に悲劇が待っていたとしても、それは人が変化を遂げる切っ掛けでもあるから。
喜劇だったとしたら、楽しめばいい。
答えは何時でもシンプルなものだよね。

もう一つ書く事があるとすれば…
デュンガが著書で発言しているのだけど「サッカーはミスの競技だ」と。
従ってミスの少ないチーム勝つのは必定だと言い切ってた。

人生もまた同じでミスがあるから面白いとも言える。

けれど昨今の意味の判らない事件やら疑惑はトライもしないで結果だけ言い繕った最も汚いミスだ。

でもこういう事もいつかは過去になり、その時に言うんだよ。
「あれからまた時が過ぎて学び教訓も増えた。だから今よりももっとより良い世界を望もう」ってね。

ほなね
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