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This Armor

古今東西何でも研究所

とりま生きる

この”とりま”ってギャル語なのかな?
まぁそういう前提で。

昨日は芦名さんの訃報に接し、今日は岸部シローさんが亡くなられた。

人は何時か必ず死ぬし、何人たりとも逃れる事は出来ない。
これを平家物語は「死は一定」と形容しています。

しかもそれはどんな死に方であれ「死」である事に変わりはない。

何だか重い書き出しになったけど、本日の方向性はその逆です。

これも無責任な言い方を承知で言うけど今現在とても苦しい状況で生活してる人に対して生きてればいい事あるなんて事は言えません。

理由は単純明快でその根拠が皆無だから。

んでわたしの場合ですが、今まで何度かどん底を経験していますが、幸いにも命を脅かす状況ではありませんでしたので、とりあえず生きてればいいかーと割といい加減で能天気に生きてきました。

特にこの世のシステムを理解し始めた頃からあらゆる価値観は知らない誰かが作ったモノとして認識してからは「なんだ、生きる事自体は誰にでも許されているじゃないか」となりました。

もちろん自害を考えた事だってあるから、自害に至る人の気持ちや心情と言うものも少しは理解しているつもりなので無責任「生きてりゃいい事ある」なんて言いません。

自分の事で精一杯なのもあるけど、今現段階で私に課せられた何かがあるとすればそれは「とりあえず生きろ」しかないのさ。

だからといって他人の生き死にに鈍感になっている訳じゃない。
出来る事ならば誰かの助けになれる自分でありたいとか思うのだけど中々ね。

それに「死」にはもう一つの側面があって、その人の苦しみは終わったのだという解釈もあるのだ。

けれど自害した人の行きつく先はとても厳しいとも言うのでやはり「一人で死ね」なんて口が裂けても言えないし言うべきではない。
何よりもそれは人を操る言葉であり悪意そのものだ。

それらを撥ね退けるのに精一杯なのが今のわたしの状況。

それでも大きな時代の変化を感じているしそれは多くの人が歓迎できるものであってほしいという願いは今も変わらない。

中には「死んで当然」とも思えるような悪意に満ちた人も存在するにはするけどそれでも救いを求めるのが人間の姿でもあるのだから、やはり決めつけて考えるのはよくないね。

人の生き方など己が決めればいい。
それは何人たりとも踏み込んで決めていいものではない。

ほなね。
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