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This Armor

古今東西何でも研究所

依存と自立

この30年くらい、厳密に言うと二十歳を過ぎて今までが本当に光陰矢の如しよろしく本当に時間の流れが速かった。
あっと言う間だったと言ってもいい。
この相対性の時間の流れはわたしに限った事じゃないし、周りの大人にもそう言われた。

けれどこれとは別観点で実際に時間の流れの速さが異なるという説があるらしい。
もっともこれも知人が同じことを言っていた。

んで実際わたしがどう感じてるかと言うと本当に短くなっているように思う。
12時間が6時間?くらいの感覚かな。

んであちら界隈でも同じ事が言われているようだ。
何でもその時間の流れが修正されるとかで、それまでに依存を捨て去らなければ「マズい事になりまっせ」な事らしい。

よく判らないのが依存と自立の関係性と違い。

人間生きていれば何かしらに依存して生きているのだし、依存の全てを捨てるのは難しいのではないか?と思う。

しかしその反面でやはり人はいろんな依存に縛られて生きているし、実際依存の奴隷に見える。

この対象が多分わたしの言う所の価値観やお金となるのだとは思うし、これが答えならわたしはそれをよく理解してる事になる。

ただし依存の定義にもよるし、定義する事自体が依存という見方も出来る。

という事は如何なる価値やお金肩書を全否定してあるがままの姿を認めて受け入れる事が第一段階で、さらにそこから自立と呼べる何かをするというプロセスを辿るという事になろうか?

さてこの自立の方なんだけど、例えば今現在の価値で言う慈善事業のような事をして、見返りを求めなければ自立と呼べるか定かではない。

そういった所説やデマを鵜呑みにする事はないが、依存の方は可及的速やかに対応しなければ共食いが止まる事はない。
ここだけは確信をもっている。

それに依存を断ち切る事と自立が同時進行でなければならぬ理由もない。
ならば依存を断ち切って一呼吸ついて自立について考えるのもアリではないか?と思うのだ。

自立の定義自体も難しいし、それが新たな価値観に取って替り人間を縛り付けるものであってもいけない。

あくまでも心や魂は自由であるべきだし、その自由に基づいた秩序でなければ人は同じ事を繰り返す。

誰の為でもない自分為であり相手の為でもある。

そこに必要なのが相互理解、相互扶助なのだけど、扶助を依存としてしまってはいけない。
ある程度の線引きが必要なのだけど現代人にこの違いや実態が理解できるのかは本当に疑問が残る。

次から次へと難しい屁理屈を突き付けてくるようだけど、混乱する必要はない。

己の感情に潜む好きか嫌いか?それは本当にお互いwinwinなのかを判断すればいい。

多分だけどそれが正解に最も近い答えなのだと思う。

ほなね。
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