これも界隈ではお馴染みなんだけど、NHKに対するデモとか、ワクチン薬害疑惑に対してデモとかあるんだけど、デモって言わば「数の暴力」だよね。
そしてそれなりにデモに参加する人数が百人単位となるのであれば、どうして集団訴訟に踏み切らないの?
因果関係を明確にしたいなら司法を通して精査する方が有効だよね?
どうして集団訴訟じゃなくてデモなの?
誰か教えてくれない?
とは言っても、手が透けるとはよく言ったもの。
デモには必ず理由があるという事だよね。
わたしが考えるところだと単なる「ガス抜き」程度の効果しかない。
後は自称活動家がデモを利用するケース。
まーこの二つだろうね。
拉致被害者問題も然りなんだけど、遺族の会とか設置するまではいいのかもしれないけど必ずそれを利用する誰かが現れる。
高市小西の事もそう。
公文書偽造行使の疑いがあるという事は違法性を問えるという事。
なのに国会の質疑応答で水掛け論しかしていない。
そしてどういう理屈かこの流れで初の女性首相なんて言葉が出てくる。
もちろんわたしは司法関係者でもないし、ワクチンも接種していないので第三者に過ぎない。
だから本当の事なんて判りようがない。
けれど判りようがないから裁判で白黒つける必要があるのでは?
裁判所の執行命令とあれば多分脛に傷持つ企業であっても従うしかない。
もしこれで虚偽の結果を持ち出してきたなら別の事案になる。
利権側はそういう事を危惧して出来るだけ明るみにならぬようデモに誘導してるとも限らない。
尤も愚かしいのは、そういう連中は民草を締め上げて苦痛を与え恐怖で支配しようとしている事だよ。
それは廻り巡って必ず己に切りかかってくる。
もし本人がそれを逃れたとしても関係者に類が及ぶ。
不思議な事に世の中はそういう風に出来てる。
わたしが本当に理解出来ないのは何故「喜び」で支配しないのかに尽きる。
その喜びを良しとせず壊す者が存在するならそれは法によってしかるべく対応が出来るはずなんだけど。
喜びが様々な事を鑑みたとしても、不必要に盗む奪う傷付けるを快楽とする存在は一握りではないのかな。
まぁこの行はともかく支配層と言われる人間の多くは多分極度の人間不信なんだと思う。
信じないから間違える、間違えを改めないから呵責は募る一方、呵責から逃れようとするから必要以上の虚偽や不信で身を守ろうとする。
そのループが続いた結果が現代社会でもあるし。
何処までも虚しく何処までも愚かで滑稽。
多分デモも集団訴訟も所詮ガス抜き程度の効果しかないのかもしれない。
悲しい世界だねー
ほなね