動画サイトだと過去の出来事の本当の事はこうだった!みたいな広告が目立つ。
わたしが今読んでみたいのはニホンという滅びゆく国家に生まれた若者たちです。
呟きデモ割とよく見かけるんだけど、ここに「無思考」という言葉が出てくる。
そんなに難しい事じゃない。
今現代の為体を招いたのは偏に何も考えずその場凌ぎだけで行動してきた結果という事。
此処で言う何も考えないと言うのは、自分だけじゃなくて他人に対しても無責任に接してきた事だと考えてる。
日本人に限定した事じゃないのだけど、日本ではそれが特に顕著だから書いてみる。
昔はいざ知らず現代は何か事が起きて誰かが責任を負わされるとか、メンツを立てるという名目で誰かが罰せられたり、詰め腹を切らされる事が多い。
これが明治前の切腹に相当するなら、個人の名誉は腹切りで自害した事で守られる。
人によっては遺族に対しても相応に厚く報いる。
けど現代はそうじゃない。
当たり前だけど一々事が起きる度に切腹させていたら現実的な労働力や人材を確保できなくなる。
でもこれらを鑑みても足りない事がある。
それは心を護るという事。
ネット上の炎上沙汰で一生涯に渡って何かしらの迫害を受けてしまうような事は一部の事としても、現代日本社会は一度の失敗を許そうとはしない印象がある。
何かしでかしてしまった、それを何らかの協議で責任を負わせる形をとる。
けれどそこでほぼ終わってしまい、再起する気力ごと奪ってしまう。
別の言い方なら「赦す」事に対し過剰以上に余裕がない。
そしてそれを許容、或いは受け入れてしまうから自らも一発退場の土壌で生きる事になり、他人を慮る事も出来ず自分の事で手一杯になり、剰え自分の奥さんお子さん相手でさえ優しくする余裕さえなくなる。
もう生き地獄だよね。
だってこの状況から解放される方法は概ね二つ。
社会からドロップアウトするか、自害を含めた何らかの形による死。
此処にもう一つの選択肢として、当事者同士で話をして出来るだけ理解を深めて、共有するがあるけど、そこにすら眼を向ける余裕が無いから生き地獄の様相を呈してるのであって、やはり解放の方法は二択?になってしまう。
わたしは何もかも無条件に許せとは言わない。
状況によっては許される事が最大の罰となる事もあるからね。
でもこれはある意味心を救う意味が含まれていて、言わばよい意味での許さないと言える。
何か起きれば誰か一人に全てを被せて後は知らぬふりをしていればいい。
でも被せられた当事者はその場で死ぬ事が無い場合に限り、その先の「人生」が続く。
しかしあまりにも不条理理不尽な屁理屈を押し付けられて心が壊れてしまい、それを「自業自得」や「因果応報」と切り捨てるのはあまりにも惨い。
わたしが考える無思考の根底にある要因はこういう事。
大袈裟に思われるかもしれないが、人間が他人と共生するという事は究極的に言うならば他人の人生を担保するという事。
でも実際一々こんな事考えて行動していたら今度は自分の心が護れなくなる。
だからこそ距離感が必要となる。
考え過ぎず考えなさ過ぎず、付かず離れずを保って接する事が最も適切となる。
さて。
もう事ここに至って政治経済が悪いとか不平不満を言う心算はない。
言っても無駄だしね。
でも現実を見てほしい。
現在の政治や経済が人の心を豊かにしているか?護っているか?
難しい事じゃないよね。
ここから考えて行動に移す事で小さな変化がやがて大きな変化を齎す。
判らないなら考えよう。
至ってシンプルだよ。
理解しようと思わなくても「感じる事」で見えてくる物事も以外に多いモノですよ。
もっと自分の感情、特に嫌悪感に対してよく考えてみてもいいのではないでしょうか。
この嫌悪感は何が原因なのかって辿っていけば必ず答えは出ます。
ほなね