何だか今年は昭和の著名人の訃報が目立つ。
まぁそういう年齢に達した事もあるのだけど、父上が割と若くして他界している事や12月に肉親が4人他界している偶然もあり、死が身近とか人の死に方について人より考えている方かもしれない。
過去に突然の訃報によって別れを告げた人もいたし、そう言う人達の生前の言葉とか行動を思い出したり、考える事は多い。
人が人である限り例外なく逃げられないのが肉体による死だ。
これはどうしうようもない。
生前の功績を~とかよく言うけどそれも一面ではあるさ。
でもそれと同じくらい死に方も挙げられてもいいじゃないか。
さっき見た訃報の記事を観て、関係者の誰かが言ったのだろう「自死に近い死」。
わたしの知人にも或いは?という亡くなり方をした人が居る。
高血圧を放置して脳溢血でそのままとか、余命宣告されて延命医療は拒絶とか。
ここで問われるのが尊厳死とかになるのか判らないし、同列に語っていいものかも判らない。
だってわたしまだ生きてて死んだ事ないしー
けれど故人の遺志は尊重?されるべきだとは思うのさ。
いい人生だったかは本人にしか判らない…と思う。
けど人生に良いも悪いもない。
人一人が死んでゆくという一事においては何も変わりはない。
だから死に方を言葉にした。
原因と言い換えてもいい。
それを知って尚個人の生き様とか死生観が少し理解できるのではないだろうか?と考えるのさ。
自死に近いという意味ではわたしの父上も同じだったかな…
良く知らない人だったけど何か納得出来ちゃったな。
「なんだか父上らしいな」と。
そういえばこの事と少し繋がる事なんだけど、最近既婚か独身かでマウントするのが流行っているのかい?
人生には不可欠な問題ではあるが一人で過ごすかどうかなど本人の勝手でいいじゃないか。
本当に下らない事をわざわざ持ち出してマウント取るのだから、これもある意味自作自演で悦に入って満足するのならそれは自慰行為というのさ。
観たくもない猿のマスかきを見させられる、押し付けられる身になれや。
結婚して子供がいるから~とか地位や肩書が~とか何度も言うけどわたしにとっては取るに足らない事。
肩書や持ち物を剥がせば只の人間である事は今まで何度か述べてきた。
何も偉くないし何も卑しくない。
強いて言うなら卑しいのは貴賤を付け押し付け悦に入る行為…あ、これ重複してるね。
偉いのはそれらを意に介さず己の一本道を貫き通す事。
それはきっと死も同じ事なのだろう。
けど勘違いはしないで。
死もそれ自体には貴賤はないよ。
人生にも貴賤は無い。
だから厳かに穏やかに個人の生前に思いを馳せて出来るだけ黄泉路の障りにならぬよう適度に忘れ適度に思い出すのがいい。
いつか必ず誰もがそこを通るのだから。
ほなまた