わたしはスピをほぼ否定しているけど、経験した事を踏まえてわたしが接したスピをお話してみます。
ごめんなさい、許してください、愛しています、ありがとう。
このフレーズで判る人には判るのだけど、ここには現実が存在する。
理屈としては問題は起こるべくして起きて、それをわたしやあなたに見せているというもの。
そしてその問題を解決するために見せる必要があるという事。
つまり世間で起きている問題のある出来事も、あなたやわたしの中に原因があるから、四つの言葉で消去するという手法。
消去の部分を祈りに言い換えれば判りやすいかも。
もう一つは人は鏡であるという事。
その鏡は自分の中にも存在していて、あらゆる意味において己や人を映し出す。
そしてもう一つ。
あなたが物事を制御しようとしなければ道は拓けるだろうという事。
これがどういう事か理解するのに時間もかかった。
けれどわたしにとってこの手法?はスピとは違っていた。
想念があらゆる物事を現実化するなら、その想念そのものを手放すか己の中から消去すればいい。
ここでいう一つの現実とは現時点では絵空事に見えるかもしれないけど、詰まるところ祈りや願いであるという事。
悪事に手を染める人だって「本当はやりたくない」って人も多いだろう。
そしてその願いとは大雑把に言えば現状己を縛るあらゆる柵や束縛からの解放を意味すると言っていいでしょう。
これはスピや宗教を越えて恐らく大多数の人が望む事でもあろう。
そして今がその時だと気が付いている人も増えてきた。
争いによって取って代わる事は新たな争いを紡いでしまう事も判ったうえで耐えている人も多い。
報復や恐怖で人間が幸福になれる訳ないのに、未だそれすら気が付かない人だって多い。
例えば今回のワクチンだってそうだ。
恐らくこちらも二極化になる事が目に見えている。
しかもそれは同調圧力となる可能性もある。
だがどちらに加担する必要もありません。
所詮決めるのも責任を取るのも自分ですからね。
誰に勧められようがそれを拒絶しようがそれら全ては”自己責任”と言う事。
そしてそれらの答えが正しかったかなんて遠くない未来に判る事。
今は時代の流れに任せて柔軟に考える時でもあるが、それでも看過できない存在や事象がある事を認識しなければいけない。
それらの物事を切り分け特定する段階でもある。
もう一度言います。
鏡も答えも自分の中にしかありません。
ほなね。