ちょっと炎上覚悟で。
いろいろあれど、苦しみにリソース振る人多すぎ。
と言ってしまうのは軽率なのですが、実際にこういう人多いです。
まるで苦しむために産まれてきたかのように次から次へと面倒事を抱え込む。
過去のわたしもそうでしたが、それが如何に滑稽で時間の無駄だったかを思い知る事になります。
詰まるところ人生は二択の連続。
生きるか死ぬか?愉しむか不快か?
0~100思考は好きじゃないけどこの事に限っては事実だし、真実と言ってもいいでしょう。
そして不思議な事にここだけ両極端に決めておけば他の物事はかなりアバウトで済んでしまう事。
人との関係性も同じ。
付き合うか?無関心か?に尽きる。
全てにおいて出会う人が自分の為とは思わないけど、相手が同じ様に考えているとは限りません。
利害が絡めば理屈をつけてあなたを利用したがるのが人間の本性の一部。
利用されて無害ならいいけど、多大な不利益、不愉快を被るなら事前にそうなる事が判っている相手と関係を持つのは御免蒙るはず。
最も理想なのはこういった価値観を共有できて尊重できる事。
利害にもいろいろだけど、己を護る意味においてもこういう考え方は必要だし、手段としてはとても有効になる。
お釈迦さまは人生の本質は苦だとしたが、それは2500年前の水準としていいのではないか?と考えている。
つまり現代社会は快楽だけを貪って生きる事は難しいし現実的ではないけれど苦しみだけは回避してもいいしそれが出来ると考える。
痛みを知るために伴う苦痛は避けられないが、それ以外は愉しむ事に重きをおいてもいいじゃないか。
それを実現するためにはお付き合いする相手を見極めて選別する事も必要、不必要な苦痛を回避する為に多くの手段を学ぶのも大事。
けれどそれ以外はどうでもいいじゃない。
何処の誰が自分よりお金持ちとか、いい服着てるだの、いい家に住んでる、収入や学歴が高いといった己に無い物でないものねだりして他人と比較して不愉快な思いなど捨ててしまえ。
本来あなたの価値は其処ではなくて思いもよらない別のところにあるのだから。
ほなねー