昨今の話題なりで少し方向性が変わりつつあるのだとは思うのだけど、経済に限定すると自称有識者の多くが見落としてる。
消費者の購買意欲とは詰まる所心の問題だと言う事。
今は台所事情が圧迫されてるから買い物は控えようとなるのが当たり前の論理なのにそこに言及していない時点お話にならない。
設備投資にしたって理屈は同じで、しかもここは本来長く使う事を考えて購入する事が多いので少し値が張ってもお金に糸目をつける事はイコール不必要な無駄が増える事を意味している。
しかし現在の経済政策はどうだろうか?
此処まで来るとグローバリストという存在が疎ましく思うのも、不満の矛先がそこに向くのも致し方が無いとも考える。
でもその前に少し考えてほしい。
今の状況は概ねグローバリストと言われる資本家が意のままに経済支配する事が目的で概ね間違いないし、如何せん情報は確か隠蔽されていたとも思う。
現場の人が口を作んでしまう程の状況に追い込まれていたのも仕方がない。
仮に正論なり言ったところで握り潰される慣習が出来上がっていた事も事実だし。
某呟きで何もしてこなかった方も良くないという趣旨のコメントを見たことがあるのだけど、「好き勝手言ってくれる!」と怒りを覚えた。
参政党は党の方針として教育改革も政策に揚げているが、ここは本当にデリケートだと思う反面至ってシンプルでもある。
要約すれば特に歴史においては起きた事実を羅列してその時を生きた人がその時何を考えてその手を指したのかを考えさせるものでなくては意味が無いと思う。
一般的にIQの高さが目立つがわたしの経験上IQよりもEQのほうがずっと大事だと思う。
これも理屈はシンプルで、実際に行動してみないと見えない物事や、仕組みがある。
ちょっと角栄さんのお話を引用すると、彼は土建屋時代役所の人間に図面を理解できるか疑問で施工に関して大いに不安があると言うような趣旨の事を言われた事があった。
これは生まれて初めて楽器を手にした人間に楽譜を正確に読めと言ってるようなもので、実際に音を出して見なければ楽器の使い方すら判らない。
これを土木建築に変換すると生まれて初めて建築現場に行った人間に図面を丸投げして図面通りに施工してねというモノ。
EQはこの問いかけと答えの二択の間を繋ぐ経験と言える。
IQの高い人を見下す心算はないし、それはそれで凄い事ではある。
けれど今書いたように生まれてこの方一度も経験した事がないような物事に対して図面なり楽譜なりを丸投げしてやってみろと言うのは横暴というモノだ。
しかもそれで出来なければいらない子レッテルを張られる訳だ。
これは処世術も酷似してる部分が沢山あって、実際刃物を持って暴れる暴漢に対して話し合おうなんて気にはなれないだろう。
恐いしね。
じゃぁこういう屡起きる理不尽で横暴な出来事にそう対応するのか?これがEQの為せる技であり処世術にも重なってゆく。
経済も同じような問題を抱えている。
一部で企業は現在内部留保をたくさん抱えている、或いはお金が無いと両論ある訳だが、どっちが本当かが問題ではなく、まず一つ目の目安としてその船が沈みゆくか、持ちこたえて航行できるかを見極める必要がある。
二つ目に後者を選んだ場合自分の役割が存在するか。
二つとも折り合いが悪ければ降りるしかない。
自分で選択すると言う意味では勤め人の多くの方は不安に思う事だろう。
しかし言い知れぬ不安と居場所がなくなるかもしれないという判り切った不安どちらを選ぶかだ。
居場所がなくなるは概ね組織の中で蔑ろにされる状況だとすればそれはとても辛い事ではないだろうか?
わたしは齢11才の頃に居場所を失った。
というより大人の身勝手な不始末で奪われたが概ね正しい。
けれどよく考えてみるとわたしはう生まれて間もなく家を言うものを失っていた。
そこを理解したら急に楽になったものだし、以来わたしは根無し草でいいと割り切って生きてきた。
だからなんだと思うかもしれないが失った事で得られた事も多かったから書いてみた。
居場所を失ってから以降わたしは全てではないけど自分自身で大人と接するしかなかった。
時に叱られ時に本気で怒られ、けれど褒めてくれる人もいた。
そういう経験後になって今に至り、多分これがEQなのだろうと所に帰結した。
一般にIQの高い人特に棋士の人は200手をほぼ1分で考えると言われている。
面白い事に棋譜と楽譜と建築の図面も似ている。
何かしら癖とか特徴があるもので、そこが時にコツとなる事も多々ある。
つまり何がってお話になるが、お金の使い方をより良い方向性で使う事で対抗できるなり、変化を促す事は出来るのではなかろうか?というお話でした。
ほなね