古今東西何でも研究所
幼い頃から人一倍傷つきやすくナイーブな性格だった故か人の言葉に敏感に反応する。
大人と言われる年齢になり相応に振る舞いも身に着いた今ではその反応を表情に出す事は滅多にない。
人の言葉って功罪があり、人を傷付けるとか貶める言葉は嫌と言うほど溢れかえっているのに人を活かす言葉は絶望的に少ない。
同時に頭がオーバーワーク気味の時など人の言葉など耳に入らないし、邪魔ですらある。
「君の為を思って言ってる」とかそれなりに本当なんだろうけど、その場では受け入れる事なく、後に振り返ってあの言葉の意味を知る事数多。
けれどそこに魂やら真心のようなものは存在したのだろうか?と疑う事も多い。
所詮自分の人生だから過不足なく納得できればそれでいいのだけど、最近になって考える事は人と関わるには言葉は不可欠だが巻き込む事を怖れてはいないか?だ。
猜疑や不信が為せる業なんだけど、何らかの関係性を持つ事が利害に繋がると考えて躊躇ってしまう事が増えた。
これはある意味社会性の意味合いにおいて理性的な考えでもあるかもしれないのだが、お互いの信用を担保するために繋がりを持とうとする事自体が人をして人を足らしめざる要因になってはいまいか?
例えば一朝事が起きた時に自身の信用や弁護をさせるために関係性を築くのか?と考えると本当に嫌になる。
んで結局のところ「君の為を思って」の行だが、生きている人間が放った言葉でそれが事実だった事は一度も無かった。
そんなお為ごかしより率直な利害を説いてくれれば載るのに、わざわざ「善人」の仮面を被るから面倒な事になるのさ。
歴史上の人物が遺した言葉に価値はあれど、生きている人間、生きるために偽らなければならない事は承知だが、そこに誤魔化しがある以上その言葉には意味や価値が無い。
だったら誤魔化さずストレートに言い放って頂いたほうがよほど楽なのさ。
学ぶどころか学ぼうとすらしない人が多い現在にあってはここで書いている内容もあまり意味を為さないだろうし、別に残したいという事でもない。
なんとなくぼやいているだけだし、時には感情も…と言う程度の事。
要約すると「己の頭で考えて判断しなさい」で済む事なんだけど、説明を要するのは内容を知らなければ理解を得る事が難しいとなるのだが、それ以前にそれ自体を理解する必要がない事が問題なのだろう。
ほんの少し時事ネタを引用すると、あらゆる犯罪報道がなされているが、その中に多数「やったもの勝ち」とか「秩序を無視すればやりたい放題で快楽も金も得られると」言わんばかりで短絡的なモノが目立つ。
それは現実であり事実ではあるのだけど、それを以て人間と言えるのだろうか。
徒然ぼんやりそんな事を考えてみた。
ほなね。