マルチとかねずみ講に勧誘された事ありますか?
或いは某宗教に勧誘された事ありますか?
彼等の口八丁手八丁見聞きしてて違和感覚えませんか?
どこをどうしたら、自分の忙しい間に誰かが替りにやってくれるから楽になると言うのでしょう笑
遡る事数十年前、わたしの知人が言ってました。
「人を見たら泥棒と思え」と。
それ聞いた当時のわたしは( ゚Д゚)ポカーンでしたが、その意味は身を以て知る事になりました。
これはマルチや宗教とはほぼ関係のないところで起きました。
都合のいい時は身内扱いして、都合の悪い時は他人。
これは珍しくもない事だったのだけど、まぁ性善説を疑う事を知らなかったピュアだったわたしには堪えた。
この事を切っ掛けに心を病む事になりましたが、幸い?な事に無事に生き延びてその辛さから「己が選んで作り出した結果」だと割り切ったらまー楽になりました。
簡単に言ってしまえば「面倒そうな相手とは関りを絶つ」事が一番の処世術であり自衛策でもあった。
それとは反対に好きになりたいと思う対象って理屈じゃないし、その場合はもう騙されてもいいくらいにのめり込んでもいいと思う。
例えそれが「裏切られた」と感じても、それが本当の事かを疑えばすぐに判る事です。
裏切られる事にも因果があって、何かしら相手の琴線やら逆鱗に触れたとかありそうですけど。
己の人生の全ての責任を背負うって難しくはないけど実は怖いものだったりします。
少なくともわたしが辛さから得て割り切って己の自由を生きてやると思った当初は怖かったです。
でもその怖さってすぐに無くなった。
どんな状況であろうと楽しもうと思えば意外と笑えていました。
人を疑う事って言葉を変えるなら、依存しない様に気を付けるって事でもあるんです。
特に悪しき依存は他人のあらゆる物事を奪います。
そして己自身も心を病みます。
良い依存ってなんだろう?
これは定義が難しい。
依存し合わず、好きと言う気持ちだけで繋がっているのがもっとも近いのかな。
わたしがよく言っている付かず離れずもこの類だと思います。
でも人によってこの距離感を嫌がる事があります。
例えば「ストーカー」じゃんとかね笑
付かず離れずって距離を保った状態で相手を観るという事でもあるから、ある意味お互いストーカーとか追っかけとか。
まぁこれは極論過ぎますね。
最近じゃ「リアコ」なんて言葉も聴きますが、著名人相手に本気で恋する事って別に悪い事ではないし、少なくとも不法行為にはならない。
でも相手が本当に素顔を見せてくれるかなんて話が別になります。
素顔見て百年の恋が冷めるなんて珍しくもない。
そうじゃなくて、良好な距離感で笑ったり、一緒に泣ける関係なんて素敵だと思います。
笑う方はともかく、一緒に泣いてくれる人こそ本当に手放してはいけない存在です。
だからわたしは恋をするとき必ず相手の泣き顔を想像します。
別に泣かしたい訳じゃありません。
例えばその様がまるで子供みたいに辺りを憚らず泣くような人なら好きで居続けたい。
大人に見えるからって泣いちゃいけないなんて法律はありません。
事実平安後期の坂東武者はよく泣いたそうです。
もらい泣きでもあたりを憚らず慟哭する事もあったようです。
そう言う人なら多分疑う必要すら無いのかもしれない。
けれど何かしらの作為や悪意を持って接してくる人ってこの泣き顔が想像つかない。
寧ろ悪い顔して悪い笑をしてる印象しかない。
しかも大抵の場合この手合いってわたしが最も嫌悪感を覚える表情してます。
わたしの場合ですが、誠実に話そうとする相手に対しては相手の胸元を観ています。
根拠はありませんが、何となく心が見えるかな?くらいの感覚に過ぎません。
目を見る事もありますが、わたしの目の光彩が少し変わってる故か相手を気圧してしまう事があるみたいです。
まぁわたしも自分の目を見られるのは好きじゃありませんから相手も同じ様に目を見られたくないのかも。
目が泳ぐなんて言いますが、アレ割と当たってます。
疑う事に疲れを覚える事は多々ありますが、わたしの場合関係性を優先した結果なので、あくまでも自己責任としています。
その結果嫌われようと一向に構いません。
ただ意中の異性に嫌われるのは凹みますが笑
まぁわたしの主張ってやっぱり傲慢、強欲、怠惰なので一般向きではないかもしれません。
でもわたしが嫌悪する対象は概ね不正不当な利害で接触してくるタイプです。
わたしには独占欲はあるが、相手を意のままに操りたいとは思わないし、何かを対価に好きになってもらっても嬉しくありません。
だからありのまま在るがままのその人を好きでいます。
疑う事と好きになる事って対極に見えて実は双子?ってくらい似ています。
努々己自身の好意を利用させないよう。
ほなねー