細かい屁理屈はどうでもいいし、このブログでは何度も繰り返しているので出オチします。
それは己の「魂」とか「心」。
と言ってもそれは欲望を満たすための事ではなく理屈で説明がつかない「喜び」や多分「愛」というもの。
愛を多分としたのは、わたしは生まれてこの方そのような人に出会ったのは一度だけでその時の気持ちを巧く思い出せないので多分とした。はいいとして、どなたにも経験があるはずです。
理由は判らないけど、とにかく魅かれる何か。
これも多分としておくけどそれが「魂」とか「心」の共鳴なのだと思う。
感じ方はそれぞれだしこれも一括りに出来ないので旨く説明がつかないけど、少なくとも本能から来る「嫌悪」や「不快感」も共鳴と言っていい。
ただしその場合は魅かれ合うものではなく反発するものであって、相容れぬ相手となる。
とにかく事実やら正しいとされる事に屁理屈は要らないのです。
自分の感性や心が求めるままに時間に身を委ねてみるのも一つの手段です。
そこに己の作為さえなければ自ずと見えてくる何かがかならず存在します。
ほなね。