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This Armor

古今東西何でも研究所

「愛」という記号

ん~とまずはじめにお断りと謝罪をしておかなければいけませんね。
このタイトルは「愛」を否定する意味ではない事と、わたし個人の認識不足をゴメンナサイします。

さて。

わたしにとって「呪縛」に等しいこの言葉。
本当に重たいし、なんだかその一文字全てで人の一生を左右してしまうのですから、わたしにとってはやはり思い言葉です。

もう一つ。
これは要因?に繋がっていると自身では解釈しているのですが、わたしはこの言葉とは程遠い人生を歩んできました。
しかしそれ自体を否定したくなるような事って多分無かったように思いますが、拒絶したという事は否定したという事になるのでしょう。

まーそれはともかく、さらにもう一つの側面を身も蓋も無い言い回しをすればこれほど安易で他人をコントロールするに便利なツールも珍しいと思う訳ですよ。

表現としては良いものだとは思うし事実理屈ではそう解釈しているのです。
しかしいざそれが己に降りかかると、三蔵法師と悟空のあの光景が目に浮かぶ訳です。

ある種契約とも言えるし、解釈のしようは個人によって違うのでこればかりはなんとも・・・

けれどわたしはこの一文字を表現する時は「好き」と言い換えています。
意図的に言い換えてる事じゃなく、自然にそういう言葉が出てきます。

細かい理屈や選別、言葉や表現の優劣は別としてわたしにとって好意を示す最高の表現が「好き」という事に過ぎません。

わたしがそれを選ばないのはわたしの自由だし、それを以て目に見えぬ人の心を否定拒絶するものではない。

けれどこれをどうしても理解してもらえない時があります。

そういう時は方下する事も必要になるし、きれいごとになるけど、好きな人の邪魔になるような関係性はやはり回避したい。
でもそこを「愛」という言葉で誤魔化してしまうと後に取り返しのつかぬ事態を招く事を経験上知っています。

それがどういう事かも個人差はあれど、わたしの主観、視点で考えると一般的に考えられる絵に描いたような理想的な家族はとても素敵なのだけど
何時もその裏を考えてしまう。

その幸福を維持するためになんらかの代償や対価を支払っている。
そしてそれは大抵の場合、相応のお金と自分の時間や人生だったりする。

少なくともわたし背負える事ではないので一瞥以来そういった関係性を拒絶しています。
ひとりで何かするのもいいし、誰かと一緒なのもいいのだけど、一緒に居てもそこに「喜び」なければわたしの場合は無理だと認識してます。

もちろん中にはその対価や代償が人生の醍醐味だという意見がある事も承知しています。

しかしそれは考え方が人それぞれ違うのと同じように幸せの形やそれに対する価値観だって違うのです。

多くの方が多分一般的な理想を是とするのだとは思いますが、わたしはそれを以て彼等を排斥する事もしないし言いません。

ただ「何かが違う」のだと感じるだけです。
もし「愛」というものが全ての源だと定義するならわたしは確実に何かが足りない事になりますが、今更そんな定義は必要としていません。

旨く言えないけどそういう言葉や理屈ですらもうどうでもいい段階に居るのだと考えています。

自分が何を求めているかなど所詮自分にしか判らないし、その答えは必ず自分自身が持っていると確信して以来本当に「愛」に対する考え方は淡白なモノになりました。

むしろそれ以上の「何か」を求めるようになったと言えばいいのか判りませんが、そんなこんなで「愛」と言う言葉は所詮記号に過ぎないのだな…と日常を過ごしています。

重ねてお断りしておきますがこれはわたしの見解であり、それら全てを否定するものではありません。

ほなねー
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