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This Armor

古今東西何でも研究所

努力の証の対価

学歴フィルターの記事観てきた。
なんか文章が「嫌なら勉強していい偏差値」のしていいと言う所が訳ワカメだったのでよく読んでみたら、より高い偏差値という意味だったんだね。

細かい事はまーいーや。

で、この発言に対して様々な意見があるようだけど、わたしが思うのはタイトルの言葉通りの意味。
努力は認めるし、事実過去に言われた事があるしね。
でも、すこーし意味合いが違うので書いてみる。

学歴の高さ=6.3.3.4で16年机に向かって苦痛な勉強を耐えたところに価値が見いだされると言った人がいます。
でもこの人業界では大名クラスの方ですが、財界ではあまり知られていないのかな?
まぁそこはどうでもいいんだけど、この一言には重みがあった。
それだけの忍耐力を買われるという意味なんだと解釈している。

しかしわたしはこう思うのさ。
その努力は称賛に値する事ではあるのだけど、あまりに勉強に全振りした事で人間力を養う時間が犠牲になったのではないか?と。

けれど記事にされていた学歴フィルターとこの事は多分関係ない。
単に学閥で人事を動かした方が都合がいいとか、ある程度の偏差値やら出身校といった箔があった方が何かと使い勝手がいい程度の事だと思う。

それに出身校と本人の偏差値はまた別の問題だしね。
例えるなら国立と私立で同じ学部の偏差値を比較しても大差が無いように思える。
とはいっても専門的な学問を修学するのだから、各学校の資金力に拠るところはあるだろうし、それを基にした設備の差なんかも存在するだろう。

30年前のスタンスだと大学は就労したくない為の逃げ道と言い切る人も結構いた。
現在は専門分野で就労する事を目的としているケースが多いだろう。
そうでなければ奨学金返済が問題視される理由が見当たらない。

それに最も問題なのは現在日本企業の多くが外資から出資を受けていて、当然役員なんかも外国人が存在する。
この先は想像でしかないのだけど、特にアメリカの場合は大学は卒業するのが難しいらしい。
その価値観で行くと、日本人の大卒は現役卒業して、しかも中には在学中に国家資格を取得しててる人もいる、「なんてすばらしい人材がそろっているのだろうか」とばかりに同じ価値観で観る事も少なくないのでは。

アメリカの価値観で言うなら大卒=即戦力なのだろうけど、日本だとそうはいかない。
ならば余計に学歴や出身校を重視するのも仕方がないとも言えてしまう。
この行はあくまでも想像ですので、鵜呑みにしないでくださいな。

日本人の経営陣だってほぼ同じ様に考えた結果が新卒採用を渋るという事なんでしょうから。

まーなんにせよどんなことにでもラベリングするのは疲れるし息苦しい。

それに踊ってるのは個人の勝手だからいいけどね。

それにまぁ個人が組織に合わせるのは何処に行っても変わらないのだし、今更騒ぐ事かな?とは思う。

本当にめんどくせー奴らだ。

ほなね。
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