世が世なら不敬罪で逮捕案件な個人的見解です。
先ず現在の皇室、昔で言う朝廷が狂いだしたのは概ね蘇我氏と物部氏の戦でしょう。
ここに宗教戦争の側面があって、しかも当時信仰宗教だった仏教に厩戸の皇子さんが加担したものだから結果は悲惨な事になりました。
後の天平文化を差し引いてもこの当時の政治体制は決して褒められたものではありません。
何故推古帝の摂政として厩戸さんが采配を振るう事になったか?
まぁこのお話はここまでとして、その後に今度は蘇我入鹿が暗殺され天智帝が即位するけど、天智の帝が崩御すると今度はその子である大友の皇子と弟である大海の皇子が争い、後の天武帝として即位します。
これも此処までと言いたいのですが、ここから持統帝、聖武帝までいくつかの政変と政争が起こります。
ここには藤原不比等が一枚噛んでいます。
さて聖武帝から凡そ白河帝まではほぼ平穏になるのですが、ここで武者の台頭により朝廷のお公家さんの収入に干渉する事になります。
まーお公家さんからすれば武者なんて地下人とか言われて番犬程度の扱い程度でしょうから、まさに飼い犬に手を噛まれるとなる訳です。
そしてその不満が一時に爆発したのが天慶の乱となりますが、当時のお公家さんどもはこの事から何も学ぼうとしなかったのか、それとも偶然討伐できたことに胡坐をかいたのか、この事で武者の本当の怖さを知る事は出来ませんでした。
さてそこからさらに時が経って崇徳帝の時に訝しい出来事が起こりました。
白河院による退位と譲位を迫られます。
さらに良くない事にこの当時武家さんは既に自分の土地を護るだけの武力を有していました。
更に更に良くない事に当時のお公家さんはこの恐ろしさを保元の乱で身を以て知る事になり、自分達の立場が危うくなる事を身近に感じ始める事になります。
そしてそれは平治の乱を通して平家の台頭と言う形で現実となりました。
清盛さんは太政大臣にまで上り詰め、朝廷の要職には平家の公達が就く事になり、事実上藤原家は一時駆逐に近い形になります。
ここで問題だったのがこれを打破すべく後白河帝は平家討伐の院宣を発して源氏を嗾けます。
わたしはこの辺りに思うところあって言いますが、後白河帝は決して名君とは思えません。
寧ろ暗愚で強欲で愚かな帝の筆頭だと考えています。
事実源氏に拠る平家討伐が成就した途端今度は源氏に政権を奪取され、自らは老いさらばえ、後鳥羽帝に鎌倉幕府討伐を託すという何とも愚かな行為を紡いでしまいました。
その後鳥羽帝すら政争に敗れ流刑となりました。
そしてその鎌倉幕府もまた頼朝の暗殺と北条氏の権謀術数により腐敗?し時の帝後醍醐による建武親政を目論むべく幕府を討伐します。
しかし事が成就したとき、足利尊氏がほぼ全権を掌握した事が原因で吉野へ下ってしまい、そこでもう一つの調停を樹立する事になりました。
やっとタイトル本番です。
この時すでに持明院統と大覚寺統という皇室内の派閥が出来ていた事に由来しています。
何と愚かな事でしょう。
宗教と言う枠を超えてと言うか、単に己に都合のいい団体を利用してきた心算が、実際は自分が利用されていました。
後に北畠某さんが編纂した神皇正統記なるモノが書かれましたが、あの本の内容だけではどちらに正当性があるかなんて理解する方が無理というものです。
さて、ここまで何人かの愚かな行為を論ってみましたが何か気が付きませんか?
現代人もおおよそ1500年進歩していないという事ですよ?
語弊があるので言い直しますが、江戸時代に手習いやら寺子屋によって識字率の高さ、計算能力の高さを考慮するならこの時点で進歩と言うよりは賢かった事は事実だと思います。
数学とか計算て小難しい事言ってるだけで、その構造と目的はとてもシンプルです。
何をどこでどうしたらどうなるか?これを理解する事です。
これ以上シンプルな事ありませんよね?
しかも現在はPCがあって数字の計算はもっと容易になっています。
己で思考する事は衰えているかもしれませんが、物事の流れを追う事は1500年前よりもずっとずっと容易なはずなんです。
呟きには相も変わらず選挙行けとしか言わない。
公選法とシステムを公平にしなければ票を投じても無意味な事を理解出来ているのか疑うレベルです。
日本の政治体制そのものを見直さなければいけない段階である事もご理解頂けてるのかも疑わしい。
こういう現状が嘆かわしいとは思うけど、わたしは気にしていない。
どうせなるようにしかなりませんから。
その時になって「こんなはずじゃなかった」「思っていたのと違う」と文句や言い訳を今から考えるくらいなら、今この場で認識を改めましょう?
其処を改めなければ「豊かな世界」なんて夢のまた夢のまた夢のまた夢ですよ笑
危機が常に隣に在るように、夢や希望また、隣に存在しています。
ほなねー