昨今便利な言い回しがあって「一周回って新しい」がある。
こういう言葉が一般的に知られるようになったのもネットが無関係ではないと思う。
最近よく昭和懐古とか回帰を目にします。
特に目立つのは15年ほど前木村カエラちゃんがファーストアルバムを発表したのだけど、内容がとても80年代ぽくて、好きだった。
本人もコンセプトに80年代を標榜したとなんかの番組でコメントしてました。
ムーブメントはこの時が最初ではないにしても、その後結構な数のアーティストが80Sっぽい楽曲をリリースしてきた。
わたしも80年代ストライク世代ですがら、この雰囲気とか大好きです。
これは言い換えれば古典回帰とも言えるのでしょうけど、その影響は音楽に留まらず、あらゆるところで目の当たりにします。
あと某動画でそれっぽい内容の動画に対するコメント欄にも80年代とか昭和を懐かしむ声や、羨む声も目立つ。
確かにあの当時携帯もパソコンも普及してなくて、控えめに言っても現在よりずっとずっと不便だったのに、あの当時が不思議と幸せだったと思えるのは不可思議に他ならない。
わたしもこのブログで何度か昭和に触れているが、その違いも考えてきたし、その答えもほぼ得ている。
そして最近何処発信なのか、どういう意図があるのか理解不能だけど、現代日本は貧困というものも目立ってきた。
結論から言うと日本は先進国である必要はない。
もしそれでも先進国の中の優等生になりたいなら、まず現状を認める事だ。
己の弱さや弱点を知らずして強くなれる道理は無いのだから。
そういえばこの事って2010南アフリカW杯とその後を象徴していたように思う。
あの大会でやっと日本の戦い方が見えてきたのに、調子に乗ってそれを反芻する事無く次のステップを焦った結果が14年の結果だった。
こう言う事って種別の違いはあるけど、本質や括りは同じなんだよね。
翻って話を戻せば日本でロックが今一つ売れないのは作る側が媚を売るからに他ならない。
ありのままで勝負すればいいのに出資者やマネジメント会社、オーディエンスの顔色を伺う。
昭和の歌謡曲は良くも悪くも無難なので、その意味では媚を売っているように聞こえがちなんだけど、現代と違うのはきちんと個性を活かした点にある。
けれど現代は何事においてもまず人の評価人の顔色ありきが多い。
こんなんじゃ個性も潰されちゃうし、それこそ色も匂いもないツマラナイモノが出来上がるのも道理ではある。
そんな中でもきちんと個性を発揮しているアーティストも居るにはいるけど本当に一握りだと思う。
何でもかんでも一律量産すればあらゆる事が捗るのは事実だけど、それじゃ人間である事から遠ざかるし、人間自体が記号になってしまう。
ちなみにわたしはほぼ全般に渡って演歌が苦手だったのだけど、自分がおっさんになって隠れ家的な所で呑んでいると不思議と演歌が合うのはやはり歳を取ったという事なのだろうか(笑
若い頃みたいに都内某所の繁華街で外国人と一緒にバカ騒ぎしていた頃が懐かしいけど、もうあんなバカ騒ぎ出来るか判らない。
外国人と騒ぐのが好きとか目的という事じゃなくて大使館が密集してる繁華街だと自然とそういう状況が出来上がるだけなんだけど、面白い事に当時流行った曲や誰でも知ってるような曲が流れると誰それ日本人外国人関係なく一緒になって歌いながら呑んでいた。
今でもそういう事ってあるのだろうけど、その楽しさを知ってる人は幸福ですよ。
それは言葉や文化の壁を超える楽しさがあった事だけは事実だしね。
話逸れちゃったけどこの辺で。
ほなね。