こんばんわ。
ちょっと拝借しました。
最近お気に入りの歌詞の一部ですが、この歌とても素敵なのにとても重い。
考えさせられます。
真摯に向き合い続ける事が出来ればミスは減り、幸福になる確率を高める事は可能かもしれない。
けれど人間の心はそんな簡単ではなくて、些細な事や目の前の事に手一杯な状況がそれを許してくれない人の方が多いのではなかろうか?
心がフラットな状態だと見えているものもありのままに見えるものだけれど、何かしら浪があると見えていてもありのままを見ていない事など日常茶飯事。
だからこそ学ぶ事が多いこの人生と表現しているのかもしれません。
しかしわたしの見解とお断りしておきますが、学ぶ事が多すぎてしんどくなったり、逆に学ぶ事が愚かしく思えたとき、こんな世界からドロップアウトしたくなる事だってある。
自死と言う選択肢はありません。
さらに念のため言っておきますが、わたしはクリスチャンでもありません。
ドロップアウトと言ったところでそれは擬似的な意味合いしかなくて、精々関わりを減らすとか出来れば断つとかが現実的。
まー世捨て人?になるのも悪くありませんし、実際にわたしは限りなく世捨て人に近い生活をしています。
そういえば春風亭昇太さんが独身に拘る理由なるモノが掲載されていましたが、中身はわたしと大差無かった。
独身に拘るわけではありませんが、必要以上の人間関係など面倒なだけなので独りで居ます。
というよりも、今生のわたしは誰かと一緒に暮らしてという事は出来ないのかもしれません。
来世とかが本当にあるとして、今生きてるこの現実は何のため?と悩んだ時期もありましたが、相応に大人になっていろんな事を中庸に捉えられるようになるとそういった拘りも個人の勝手人の勝手と割り切って個性の一つとすればそれ以上考える必要もないし、それが概ね現実と合致していれば大した問題ではありません。
今を生きる、出来るだけ真摯に向き合う。
人が生きるとはそういう事でもあるし、それで十分ではないか?