概ね多くの日本人はこの違いが旨く理解出来ていないように思う。
わたしも例外ではない。
これらと正反対の考えが共産、社会主義という事であるのは理解出来ていると思うが、民主主義の本質のようなところは現代の日本人には未だ浸透しづらいのかもしれない。
それは特に戦後の政策に拠るところが大きいのだけど、それを言い訳にしていたら多分ずっと理解出来ぬまま搾取される側の立ち位置に甘んじる事になろう。
昨今の騒動一連でグローバリズムが人間本来の在り方に沿わない事が知れ渡ったのは僥倖と言えよう。
特に日本ではあらゆる意見があらゆる形で握り潰されてきたし現在もそれは進行中。
さらに言えば誰かが本来正しくあろうと意見をすれば何らかの団体というより利権団体が全力で潰しにかかるのが現状。
もちろんそれらに対抗すべく生まれるのが組織の在り方でもあり、必要がなうなった組織は解体するという簡単な循環を利権維持の為に残した結果邪な企てを持つ連中と癒着するという本末転倒な前例を作ってしまった事も悲劇と言うより喜劇と言える。
だけどここで履き違えないでほしいのは正しいとされる社会はある意味理想ではあるが、本当は間違いの少ない社会と言った方がより具体的で現実的なんだ。
わたしは封建社会を否定するつもりはないし、それは民主主義も同じ事。
共産、社会主義を全体主義とするならそれは特定の問題に対してとても有効ではあると思う。
しかし全部が全体主義では旧ソ連のような結果を招く事は観てきたはずだ。
だからこそ法と秩序となる。
これはトランプさんも同じ事言ってる。
ルールに従う事で不正や不当な物事を抑制し、相互扶助の社会にという事だろう。
しかしそれでも一定数の不貞者が存在し、良からぬことを企むのも想定しなければいけない。
しかもまずい事にイデオロギーに結び付けて全体を揺るがし悪くすれば破壊してしまう事は日本だけではなく世界共通で痛い目を見てきた事。
自由経済一つとってもそれの全てを民間企業の裁量に委ねてきたから今がある。
官製経済であろう何であろうと、人間が人間らしい暮らしをするには自由競争だって制限が必要となるし、事実現在の日本は多くの不当な搾取によって経済が支えられてきた過去を持っている。
ここから学ぶ事は沢山あるのだし、そもそも常に緊張状態で競争していればどんなにタフな人だって疲れてしまうし、状況に拠っては死に至るのだ。
そういった機能不全を取り除き出来るだけ健全で循環する社会を形成する必要が生じたのはまさに人間そのものの変化であり時代の要請とも言えよう。
多くの人はお心当たりがあるでしょう?
理解出来ない焦燥感の理由が何かわからず、考える事も覚束ないという経験があったでしょう?
それら全ての原因が経済とは言い切れないけど占めるウェイトはかなりのモノだろう。
わたしが幼少時の頃、外で遊んでいれば夕方には同級生のお父さんが帰宅してそのまま子供たちと遊ぶなんて事も珍しくなかった。
毎朝家族そろって朝食をとるなんて事も珍しくなかった。
無論家族はそろっていればいいというものではないけど、それでも会話する時間がある事は悪い事ではない。
それに職種によって朝起きる時間が早かったりする事もあるからこれを一括りにする事は難しい事も承知している。
だがその根底あるのはあらゆる企業とその下請けの利害による談合であった事もまた事実なのだ。
企業は最も安い請負単価を提示する下請けを選ぶが、そこに地元の下請けと言う選択肢は少なかったのかもしれないし、これは経済行為として全てを否定する事も糾弾する事も難しい。
企業だって多くの従業員の生活を背負っているのだしね。
問題はこれだけの事じゃないけど、あらゆる面において見直し、状況に応じて取捨選択をしなければこのまま何も変わらない。
それを問われているのが今この瞬間なのだ。
馬車馬のように働く人生か?人間らしい暮らしか?まずこの二択なのだろう。
イデオロギーなんて大袈裟に考える事はない。
答えがシンプルなら投げかけられている質問だってシンプル。
問題はこの投げかけを意図的にすり替えたりして、正しい質問からかけ離れさせる手法を用いて混乱を好む連中が存在する事。
こんな事ここで書かなくても自分で考えている人には割とすんなり判る事だよね。
ほなねん。