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This Armor

古今東西何でも研究所

屁理屈なんてどうでもいい

誰の言葉だったか、喜びは人生の中に、人生の中に…と続く言葉があったっけ。

とにかく他人の言い回しとかどうでもいいし、己で感じる事がとても重要な事に変化はない。

それは何事にも通じる事で例えば何か勉強だったり習い事で反復練習していくうちに感覚でその骨子を捉えるという経験をした方なら屁理屈は必要な。

最近はそういった物事も最適化され出来るだけ分かり易く説明してる事も増えたけど、言葉で理解出来ても体で理解できていなければそこに再構築は存在しえない。

特に現代のように何が正しくて何が間違っているかがとても判り難い状況においてその感覚は生きていくうえで重要な役割を果たす。

さらに面倒な事に状況に拠って加害者と被害者が簡単にすり替わってしまうとあっては猶更己の身を守る意味においても何かを感覚で捉える感性は本当に大事になってくる。

別の例えを引用するとこういう事になる。
どんなに楽譜を暗譜したところでずっと棒弾きしていればそれ以上上達しないのと変わらない。

人の言う事も同じ事で言い訳や屁理屈八つ当たりは必ず癇に障る。

それは感情も同じ事で特に思考原理が妬みの場合本当に癇に障るのですぐに判る。

本当の事を言っていればそれは必ず伝わるとは言わないが、少なくとも順を追って理解分解していけばそれが嘘かどうかなどいずれ判る事。

喜びも同じ事だよ。

それを本当に感じて知りたければ一度凝り固まったその価値観を捨ててみよう。

でも生活は捨てちゃいけないよ?

けれど一部例外はあって、その生活とそれに基づいた価値観で自縄自縛している場合はそれを手放す事も必要になるし、それも生きる事の一部分でもあるからよく考えないとね。

平たく言ってしまえばいい学校を出て良い職場に従事して潤沢な報酬をもらうという価値観が合わない人だって存在するし、その為にどれだけの代償が払わているかの問題もあるしで、簡単に捨てろとは言えないけど、たま~にいるんだよね。


己の行動すべてを正当化し振りかざして八つ当たりする人。

しかもその手合いってほぼ間違いなく他人と自分の違いすら認めない。

生きるって簡単ではないけど喜びだとわたしは思うのだ。

ほなね。
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