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This Armor

古今東西何でも研究所

断ち切る

時事ネタばかりだけど、座視無視出来ない事件が目立つ。

記事に対する意見にも本質を突く発言が目立つようになってきた。

以前わたしは反出生主義に限りなく近いと書いたけどちょっとそれに関連した事を。

負の連鎖というワードが見出しに使われていたが、書いた記者がそれを理解しているかどうかは判らないので置いとく。

負の連鎖を断ち切る方法…これは本当に筆舌に尽くし難いとしか言えないし、身も蓋も無い言い方や歯に衣着せぬ言い方を引用すれば、機能不全家族で育ってきた方は出来るだけお子さんを持たない方がいいとしか言えない。

専門用語に追体験というものがあって、本人は虐待をはじめとする好ましくない環境で過ごしてきて他者に対して同じ事をすまいと考えるのだけど、本質というか満たされた事が無い自分自身と向き合う事が難しくて本質を理解できず何か問題が起きた時に困惑してしまう。
それが「自分が言われてきたであろう言葉や、暴力」となって表出する事を言うのだけど、わたしも含めわたしの知人に似たような生い立ちをしている方で家族やお子さんを躊躇う方はおられます。

イコールではないけどこれが反出生主義に近づくかそのものになってしまう可能性は極めて高い。

もう一つの方法は…これも現実には難しいけど為す事が出来れば解決に最も近いと言える。
それは社会全体で貧困や機能不全家族を認知する事、同時に親である必要はないけど、満たされない何かを満たす事。

ここで留意しなければいけないのはこれが「自立と依存の違い」と「自立の妨げ」を混同してしまう事だ。

自立と依存の板挟みでは本当に救われない事をよく知る必要がある。

事ある毎に一人前やら立派と言う殺し文句で本人の不満や疑問を黙殺してはいけない。
だが同時に依存させない配慮も必要になる。

つまり大人とかと言う問題ではなく、物事の本質と切り分けと特定の分別が必要不可欠という事だ。

お子さんを死なせて、或いは未必の故意によって殺した事は確かに許される事ではない。
同情するつもりもないが、やはりこの事件に限らず物事にも連鎖はあるし、わたしは屡言葉にしているが悪因悪果や、負の連鎖を紡ぐ事の愚かさを発言してきた。

母親である彼女に法の裁きは必要かもしれない。
けれどそれじゃ足りないんだ。
本来と言うべきなのか躊躇するが、人に優しくされるとか、これこそ本当に躊躇する言葉だけど「愛される」事でしか救えないと考える。

裁きは司法に任せるとして、第三者であるわたしやら多数の方に出来る事を考えるしかないし、出来ればその際然たる方法が見つかればそれを実行に移すしかないのだろう。

個人主義と利己主義を履き違えてはいけない。

個性を認める事と甘やかす事も履き違えてはいけない。

とても難しい問題だけど考えなきゃいけないんだ。

その痛みや悲しみもほんの少しでも感じる事が出来るならきっといつか負の連鎖を断ち切る事が出来ると信じたい。

ほなね。

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