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This Armor

古今東西何でも研究所

嵐の前の静けさならぬ台風の目の真ん中

わたしが暮らしている地域は北に厚木基地、東に横須賀基地を往来できる辺り。

しかしここ数か月、特にお盆前くらいから空が喧しい事この上ない。
目視するとマスコミのヘリじゃなくて、おそらく軍と隊の武装ヘリ。

そこにきて首相の検査入院やら臨時国会は首相不在で開催とかなんだか偶然とは言えない不穏な雰囲気が流れている。

何度か触れているこの水面下で進行しているとされる「何か」と関係してるのかな。

まぁ物騒なお話はともかく、常々考えている人間のお話でも。

何となく辞書やらwikiを引くと「person」そしての定義と「human.being」としての定義があった。
後者はざっくり言えば社会の中における相対性。
前者は本当に定義が難しい。

以前も触れたけど「人の形と器官と機能とある程度の心や感情があれば人間です」と結ぶ事は出来ない。
翻って「心があってお互いを認知して思いやりを持つ事が人間です」とも言えない。
これはどちらかといえば性善説に基づくものだし、わたしはこの性善説自体を否定する立場にある。

疑心暗鬼とか言ってしまえばキリがないけど、やはり何事も見た目やちょっとした中身で信用する事はとても危険な事。

さらに言えばこれは己の外側にある提議であって、己自身が「どうあれば人間足らしめる」かは別の定義となる。

傲慢にも人間とされる人の多くはこの「己の価値観や定義」で相手を図り、ある程度の一線を引いて関係性を保つ存在とするのが現在のところもっとも合理的で現実的な解釈ではなかろうか。

そしてここに時代ごとの倫理や価値観が加わる事であら簡単「混沌」の出来上がりです。
この倫理と価値観は自分以外の誰かが作ったり決めてる事なんだけど、この二つがこの世界の出来事を難しくしているのも現実的で合理的な解釈だと思う。

本来人と人の関係なんて最もシンプルなものだった。

しかし何らかの作為によって産み落とされた倫理と価値観がそれを大きく狂わせた。

人によってこれを「パンドラの箱」とか「失楽園」と形容する。

曰く神と言う存在は二人の男女に「自由意志」を許したが、禁断果実を食べる事は決して許さなかったと聖書では唄っている。
現代風に言えば契約違反の名において楽園を追放するという事だ。

では人が人間が再び楽園に戻るにはどうすればよかったか?
そこで生まれてしまったのが倫理や価値観とも言える。
言い換えれば多くの間違いの源である事は現代人の多くが気付いている。

だからあらゆる情報を分析して何が最善なのか悩む事になる。

だがこの150年くらいの間人はそれを改めようとしなかった。
そこに下される裁きは神におけるものではなく、あくまでも「共食い」による衰退でしかない。

ならばこそ、倫理や価値観を産みだした人間にしかそれを改める事が出来るとも言える。

そして今がまさに「その時」なのかもしれません。

わたしにとってこの世界は既に正邪とか善悪を超越していると考えている。

それらを超える「何か」で克服するしかないのか、越えられずに滅ぶ定めにあるのかも判りません。

強要すことではないし、強要して得られたyesなんて姑息な手段は最早通用しない。

今現在吹き荒れている「嵐」とは多分こういう事なのだろう。

まとまりが無くて申し訳ない。

ほなね。


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