まぁ某動画がネタなんですけど、動画のコメント欄に心無い事を書く人がいて、そういう人は孤独な状態なのだそうだ。
まぁ概ね当たっているのだけど、確かに己の不平不満を言葉で八つ当たりする輩は少なくない。
わたしもその例外ではない。
けれどわたしは批判と悪口の区別はしています。
もちろん悪意のある悪口はきっちり自己責任としますが、そもそもわたしはここ以外のネット上でそういったコメントは書きません。
書くとするなら楽しい事や嬉しいことしか書いていません。
中には反論したくなるようなコメントもあるけど、文字通り言葉を呑み込んでいます。
それは何故か?
答えは簡単なんです。
そういう連中を相手にする価値が皆無だからです。
最近になって自死した女子レスラーのお母さんが故人の死後も誹謗中傷があるという事で被害届を提出して事件なってるという内容の記事を見ました。
わたしにも好き嫌いはあるけど、どうしてそこまで執拗に追い回すかね?
これは本当に理解が出来ない。
で、動画なんですが、わたしは本編は観ていません。
だって概要欄に骨子は書いてあるので再生する必要もないからね。
で、その中に「未来を創る人」とあったのですが、これにはドキッとしました。
だってわたし何もしてませんからね。
してるとしても多分それは弊害を撒き散らす方であって、お世辞にも社会に貢献するとか何かを創造するなんて出来ていませんので。
けれど一足飛びに創る人ではなく、その前の段階があるはずです。
それが心の問題でしょう?
動画の主の悪口ではなく、これは前向きで現実的な批判なんです。
悪口や誹謗中傷に未来が無いのと同じように、批判には未来や願いが込められています。
ここを勘違いしている人は沢山いると思う。
批判=悪口誹謗中傷と捉えてしまうとそりゃ腸が煮えくり返るでしょうよ。
だって区別が出来ていないのですからね。
これが区別出来ていれば批判=己に対する戒めと捉える事ができるでしょう?
特に、と~く~に日本は悪い意味での脳筋おバカ文化と恥の文化が結託しているので、ちょっと意地の悪い人なら批判されようモノなら子孫末代まで祟ろうかという世代もわんさかいます。
根に持つなとは言いませんが、執着を手放すには時間は必要だし、憎む事だって場合によっては何時か飽きるモノ。
可笑しな国ですね~
竹を割った性格が良しとされているのに、実際やってる事はネチネチ呪う事なんですから。
それにね…これは経験から言える事だけど、憎悪し続けるって本気でしんどいですよ?
本当に己の魂や心を焼き尽くす負の焔です。
ですがこれも場合によるのだけど、その憎しみが人を活かす事もあるのですから人間は本当に不思議で不可解な生き物です。
世界が大きく変化するときだけど、心の準備が出来ていなければ創る人もまた存在しないと思うのですよ。
その心を無視し続けてきたのが現在と言う結果なのですから、本当に学ぶというならこの段階からではありませんかね…
少なくとも競争を首の絞め合い殺し合いという認識を改めなければ、変化が訪れて一時人生を謳歌する事が出来ても早晩現在と同じ状況を招くのは明白です。
競争はあくまでも切磋琢磨であり、それは権威のある秩序の中で行われるべきであり、その秩序を無視した競争は戦争とも殺し合いとも言うのです。
そして権威ある秩序とは、万人が納得する人の領域を保障する事に基づいた憲法というものではないでしょうか?
法に丸投げするわけじゃないけど、現行法が機能不全なのだから形骸化、有名無実なのは事実でしょ。
如何に法が存在したとてそれを人が無視すればどうなるかなど今まで嫌と言うほど経験してきたはずです。
だから心の問題なんですよ。
悪しき事を考えるなとは言いません。
ですが、それを言葉にする事は慎みましょう。
その刃は必ず返す刀であなたを一刀両断します。
ほなねー