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This Armor

古今東西何でも研究所

日本の社会病理の謎と本質

こういう事しか書けない現実を受け入れるのもアリとして。

ネット上を散策していて特に目立つのが他人を批判、誹謗中傷する発言。

話が逸脱してしまうので本質を共感とし、状況をニートとして書いてみよう。

とかくニートに対する風当たりが強い言葉が目立つ。

しかし面白いものでそれを書いている本人が本質に気付いていないのではなかろうかというモノが目立つ。

何かと常識やら憲法やらを引き合いに出して批判する。

それ自体に何の意味が無い事も判らずに批判する。

観ていて不愉快になるものが多いのだが、本質を突いた発言を拾う事もあるので無視する気にもなれない。

目を惹いたのは「自分が苦しいのだからお前も苦しめ」というもの。

まぁこれが本質を突いた気の利いた言い回しだった。

つまり共感しない、してくれない事に不満を抱いているのが本質の一面である事すら考えずとりあえず叩く。

「さらに弱いものを叩く」という歌詞があってこれも醜さとか人の一面を物語っているが、そのような事に何の意味があるのだろう?

ネットを通して不特定多数の見ず知らずの誰かを批判したところで何も変わらない、疑心暗鬼を助長するだけだという事に気が付いている人はたくさん居るし、そういう人は多分投稿もしないだろう。

つまり相手にする価値が無いと規定されているとも言えるのだ。

さて、意味も判らず己の不満を満たすために叩いている人達は見下したつもりが見放されている、無価値と規定されているのはなんとも面白い皮肉だ。

面白くも何ともない、かえって不愉快と主張する方もおられるであろうが、これを因果応報とか自業自得と言うのではなかったか?

見下す切り捨てる事はとても簡単な事。

日本の場合戦後の復興の影響があり、このような風潮とか体質を一方的に批判する気はないが、時代や価値観が替り、論点が変化している事には配慮しなければご時世に適応するのは困難になる。

適応する必要もないのだけど、こういった社会問題に対して必ずと言っていいほど論点と話のすり替えが現れる。

例えばそれがイデオロギーや信仰にすり替えられたり、とにかくよほど都合が悪いのか本質とは正反対になるであろう言葉を弄する。

一時はそういう物事に対して過敏になり怒りも覚えたものだが本質の一部を理解した途端とても哀れな事ではないのか?となった。

他人の心配するより己を律する事を優先するのが健全と言えるのだが、勘違いかバイアスがかかってこの理屈の思考原理が正邪や勝負にすり替わる。

他人に比べて裕福だとか幸せだとかそういう話になってしまう。

まさに詭弁と言える。

心が豊かだとかそういう問題でもない。

問題の本質はあくまでも己が抱いている不平不満を考えようともしない事。

その原因が何なのか?

詰まるところ不本意な事をさせられているというある種の被害者意識。

この事に気が付けば今よりいくらかマシで息苦しさを軽減できそうなものだが、これはあくまでもわたしの主観によるものであって、俯瞰や客観とは異なるし、この違いが摩擦を生む要因になっている。

しかもわたしは賢者ではなく愚者の類。

社会病理の最大の要因が常識とか共通意識そのものであるとはなんとも皮肉な現代である事かよ。

特に意味は無いし、思うところを書いてみました。

ほなまた。
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