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This Armor

古今東西何でも研究所

欲望と貴賤

ショービジネスの世界は観ての通り華やかではあるが、ほとんどが紛い魔物と言っていい。

しかしその中に極少数だが、「神に愛されている」としか説明のつかない「何か」を持ってる人が存在する。

とりわけあの世界は貴賤がネタになり、欲望を叶える事が話題になる。
問題はその「価値観」をどうやって作りだしたか?だ。

これはオカルトやスピ関係なく、率直に感じる違和感としか言いようがないのだけど、特にアメリカの場合あらゆる職業に対する差別が少ないというよりも、日本の職業差別や出自差別が酷過ぎる事に由来している。

そういう感覚に堕ちると必然的に富と名声が手に入るであろう欧米のビジネスに肩入れするのもまた自然な流れと言えよう。

さて。
この事って何度も触れているけど、日本と日本人の価値観ってなんなんだろうね?

己が否定されるとなりふり構わず相手の上げ足を取る事に終始するこの考え方はとても健全とは言えず、しかも違いを認めないのだから本当に始末に負えない。

理由は明白。
一方的に否定され批判された事が発端である場合が多い、と言うよりもそれが本質と言っていい。

何処にでもあるような話になってしまうが、例えば家族観の関係性が良好ではなく、親兄弟から理不尽な扱いを受けた事で心的外傷となりそれがさらに歪んだ形で現在のような共食いを産んでいると言い切れる。

もちろん例外はあれど相手が家族か見ず知らずの誰かの違いでしかなく、しかも後者の場合はさらに問題が根深いところで歪みを産む事になる。

で、これらを何らかの形で癒すとか足りなくなってしまった何かを満たす事で出来るだけ改善を図ろうとするのだけど、人の痛みなど他人に理解できるわけもなく、生半可な関りを持つ事で問題が余計に拗れるなんて言うのもよくあるお話。

じゃーどうすればいいの?となるのだけど、わたしがお勧めするのはタイトルと向き合う事と、出来るだけ孤独になる事。

と言うよりもこれがワンセット。
先ず孤独に身を置いて己とは何か?を考える。
それがある程度理解できた頃合いを図って欲望と貴賤とは何か?を考えてみる。

面白い事にこの世界で起きているあらゆる事象が欲望と貴賤で説明がついてしまうのです。

大袈裟でもなんでもなく紛れもない事実が目の前に広がっていく。
そしてそれらを知ったうえで己は何を選択するかを考えればいい。

他人のいう事などあてにならないし、言うとおりにして失敗した時相手に全責任を擦り付けるなどと言う浅ましくて卑しい行為もしたくない。

人間不信と言われようと何であろうと己の選択は己にしかできないという事。

ほなね。
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