まず時事ネタと言う言い方は不謹慎ですが、豊後水道を震源とする大きな地震があったようです。
最近こういうニュースも某呟きのトレンドで知る事が多くて、反対の見方をするならそれだけメディアとか新聞の信頼が失墜しきったという事でしょう。
で、このトレンドに対してこれも最近はほぼ確実に湧く「人工地震厨」ね。
否定はしませんし、いくら専門家が人工的に震度6の地震を起こす事は不可能だと言い張ったところで、はいそーですか信じましょなんて時代は遠い昔です。
寧ろこういうタイミングで識者やら専門家の意見が引用される時点で胡散臭さが増すだけです。
で、この呟きに対して「統合失調症なの?」というリプライを見かけまして。
まぁ現地の人は大変な思いをしておられるし、人工地震という不安を煽るようなワードもどうかと思うし。
もう一つは何でもトランプ氏がNYを何とかしたいだか、すると公言したようで、その呟きに対してどこぞの誰かは存じませぬが「日本も同じなんですお願い致します」なんてモノを観てものっそい嫌な気分になった。
もしわたしがトランプ氏、或いは全知全能の神だったら真っ先に見捨てる御仁だと判断しました。
己の国の事くらい己たちで何とかする気概が無くてどうする?何も出来ていない段階で他力本願で何が変えられて、何が好転しようか?
取り敢えず頭悪い発言だし、極めて不愉快だったのでブロックしておきました。
さて、わたくし最近某動画や検索にて「純正率」なるモノを調べています。
で、そこにも変なのが湧くのですよ。
平均律を使用した事で争いが増えたとか、純正率に拘るのはスピリチュアル由来ではないのか?と言った事です。
こういう人達って多分思考停止してるのだと思った。
屁理屈なんかどうでもいいんだよ。
好きか嫌いかを発言すればいいモノを、わざわざ他人の作った概念を引用して、さも「わたし個人の意見ではなく、ごく一部の多数派な意見です」と言わんばかりな卑しくて浅ましい物言いだと感じました。
でも無視です。
聞き流しておけばいいのです。
この手合いは誰かが絡んでくると喜ぶのでしょうから、端から相手にしないのが一番です。
どうせその足りないお頭が原因で物理的にも精神的にも孤立し疲弊し、己の首を絞めていく輩です。
言葉は車と同じです。
使い方を誤れば凶器となります。
言葉のナイフなんて若い頃は気にしていませんでしたが、気にしないが故に気付かぬうちに自分自身がそれらの言葉に踊り、傷つき続けて心が壊れるまで理解が出来ませんでした。
別に警鐘を鳴らすつもりもありません。
こういう事は出来るだけ己で気が付いて身を護る事が肝要で、人から教わる事ではありません。
仮に教わったとしても身に着きません。
何よりも懲りる事が出来ません。
ここ最近になって某動画でも目立つようになりましたが、心の病に関係するものも増えてきました。
しかもその内容は間違った認識ばかりで、「あくまでも自己責任の末罹患した」が前提となっています。
中にはそういうケースも存在しますが、現代において心の病は社会病理です。
つまり社会そのものが病んでいます。
そんなルールや常識に従って生きていれば心を病むまで行かないにしても、大きなストレスを抱えるのは火を見るより明らかというものです。
そしてその歪みはSNSだけじゃなくネット界隈にも散乱しています。
だから適度な距離が必要になる。
自衛の手段の一環として「視界にはいって不愉快と感じるモノは見ない」となります。
で、純正率のお話に戻るのですが、結局好きか嫌いか、面白いか面白くないかでいいと思うのです。
どっちが優れているかが問題ではなく、より楽しむには何を選ぶかなんですが、選ぶ前に知っておかなければ選ぶ事だって出来ません。
全てを知った上で選ぶ。
極めてシンプルな理です。
正しこれはわたしの信条となりますが、自分の意見はあくまでも己の意見であり、どんな結果を招こうがその責任は己に帰結するものとしています。
なので「わたし個人の意見」ではありますが、多数派やら、誰かの心情を代弁する事はありません。
自分が極めて卑しく浅ましいと思う行為を好んで引用できる程わたくし単純ではありませんし、ある意味こういう部分において「自分が捻くれている」事に感謝する事すらあります。
それに…あらゆる音、あらゆる言葉と言うのは理屈で捉える事も大事な時はあれど、感覚で捉えないと大切な物事を失ってしまう事だってあるのです。
だからタイトルの言葉をちょっと変換すれば「後出しジャンケン」という事になります。
わたしは出来るだけそういう事をしたくありません。
もう「何故人は優しくなれないの?何故争うの?」なんて段階は過ぎ去っています。
出来るだけ己の頭の中を整理して言語化していい事と悪い事は区別した方がよろしいでしょう。
ほなねー