古今東西何でも研究所
なんのお話かと言えば可能性のお話。
可能性は希望に繋がる意味において神と言い換えられる事があります。
翻って可能性が齎す暴走を以て悪魔とも言えます。
物事に功罪があるのは以前触れましたが、可能性にも功罪と光と影が存在します。
簡潔にまとめればこれだけで終わるお話です。
さてこの可能性を通して現実の世界に触れましょう。
相も変わらず見るにも耐えない報道が後を絶ちません。
この負の連鎖を断ち切るにはどうしたらいいかは前にも触れています。
結局のところ人間が存在する限り、人間が人間のままである限りこの連鎖を断ち切る事は多分不可能ではないかと考えています。
少なくともわたしの目が黒いうちは無理。
多くの人がこれに気が付き出来るだけの事をして次世代に渡しそれを繰り返す事で断ち切ろうという希望を託します。
しかし悲しい事に人間は事が起きてから、痛い目に遭わないと懲りる事を知りません。
これが人間の限界です。
では事前に知る事は出来ないのか?となるのですが、これもまた悲しい事に先人が遺した遺言から学ぼうとしません。
ヒントがそこにあるのに考えようとしません。
そんな繰り返しに疲れ果て古の人は人間を出来るだけ導くための言葉を残しているのですがそこに気が付こうとしなければそれは存在しないのと同じ事。
多分わたしも志半ばで天に召されますがあっちの世界のお許しがあるならわたしは転生は望みません。
この世が学びの学校であるとしてもそれで納得できるタマではありませんし、多分あっちの世界の番人やら神様やらを殴るのではないでしょうか(笑
それはともかく世紀末からもう20年が経とうとしても人や世界が変わる気配は見えず中には絶望して世捨て人になる人が増えたようにも思います。
わたしもその一人ではあるのですが、諦めが悪くて今生にしがみついています。
けれど己の行いを振り返ると到底そんな事を嘆く資格はありません。
汚い事、裏切り、欺き生きてきました。
生きる為ではありますがそれを言い訳にする事は出来ず、せめてその行動から学ぶ事で自らを納得させてきました。
人一人生きるのに沢山の物事が犠牲になり過ぎていて本当に溜息が出ます。
まぁわたしは終活に近いので長くて40年、短ければ10年15年くらい?
長生きしたいとは考えていませんが、やりたい事もまだ残っているのでもう少し生きてみようとは考えています。
自死であろうが事故病死であろうと時間は待ってくれません。
自死はありませんが、寿命や天寿に身を任せています。
それ以外は…自分のしたい事をして出来るだけ笑おう。
ほなな~