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This Armor

古今東西何でも研究所

零と壱

昨日の続きと解釈の釈明となります。

0と1の違いを諭されたことのある方はたくさんおられると思います。
昨日書いた事に対して補足するとすればこのタイトルに尽きます。
また誤解を招くし、実際に誤解され方も多いと考えたので注釈します。

反出生と出生の違いは大きく砕いて乱暴に言ってしまうと0と1のちがいであり、1を産み落とす事の責任とリスクの問題とも言い換えることが出来ます。

反出生が消極的な継続だとすれば出生は積極的な継続とも。

言い換える言葉はともかくこういう事である事をご理解願います。

そして一部政治体制に触れましたがこれはあくまでも1の先に生じている問題であり、本質の延長線上にある物事だという事も併せてご理解願います。

もし出生が1とするなら政治は2となり現在政治家をなさっておられる方の胸先三寸ですべてが解決してしまう事になり、物事の本質そのものが変わってしまいます。

あくまでも出生と反出生が0か1という解釈の元に昨日の更新となりました。

もちろん起きている現実の一つとして政治の問題はありますが、その政治や秩序を作り上げたのは人間である事を忘れないで頂きたい。
これが何を意味するか?
人の変化が=世界の変化と言える。
現在通説とされている法則や常識、価値観も全ては一過性のモノに過ぎず、一過性のモノには必ず終わりが訪れます。

そうやって取捨選択を繰り返してきたのが人類史です。
同時に人間は未だ未熟である事も忘れないでください。

何を以て大人とするかの尺度など時代で大きく異なるものです。
大人の振る舞いの中には現在は大人として認められる発言や行動は後世未熟極まりないモノと評される可能性も含まれています。

本来大人がイコール人間的な到達点と定義するならこの世界からあらゆる争い事は無くなっているはずで、未だ未熟だからこそ人は判り合えず誤解し、摩擦を引き起こします。

現在良しとされている哲学だっていつか未熟で偏狭な考え方になる日が必ず訪れます。

こういった考え方に基づいている事を書いてみました。

ほなな~
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