この世界の理はこの一言で説明が付く。
もっとも、義務と権利は表裏一体と言えど肝心の権利は与えられるものではなく勝ち取るものだという摂理をご存じない方も多いのではあるが…
こんな事を言い切ってしまえるほどわたしは大した事はしていないし、むしろ勝ち取ったものなど無い。
経験上だけど、腕力によって勝ち取ったものは一瞬で崩壊するのでこれはお勧めしない。
理と利。
これが現代資本主義社会の定理と言えようか。
だが多くの人が勘違いしていることがある。
権利を勝ち取った後は放置でいいと考えている方が多い。
権利は言うほど甘いものではなく、だからこその義務と言えるのだがこれを怠ると同じ方法で権利を奪われてしまうのも現実。
言うは易しとはよく言ったもの。
だがわたしに見えているこの世界は勝ち取るほどの価値のある権利は存在しない。
枯れたとか歳をとったと言っていい。
相応にリスクを考えて臆病になった。
だからあらゆるものを放棄した。
だが放棄して見えてきた事が沢山あった。
それは時として多くの敵を作る物事ではあるのだが、これを隠しておけばどうという事は無い。
得るモノ得られるモノ、与えられるモノ与えるモノ、失くすもの奪われるモノ。
シンプルに整理すればこういう事だが今直面しているのはそれでもあきらめる事の出来ない何か。
始末に負えないね。
面白いもので恐怖や痛み、望む事で自分がただの人間で生きている事を実感する。
昔言われた事があった。
「生まれる時代を間違えたね」と。
半分以上当たっていたので驚いたけど、それ以上に驚いたのはわたしをよく見ていた事の方だった。
尻が隠れていなかったのだろうし、当時のわたしはまだ幼く若造にも至らない子供だったし。
考えてみると貴重な存在だった。
わたしは誰もわたしの事など関心は無いと思って生きているから。
わたし自身も他人にあまり関心は無くて、関わる事もしないから。
ちょっと前にこういうのをスキゾイドとか言うらしいと知った。
世の常の人間ではない事は先刻承知しているので今更驚く事ではないし、何でもかんでもカテゴライズされてもね…
人の個性はひとそれぞれでいいし、人とのやり取りも所詮等価交換。
何かを与えられれば何かを与える、何かを奪われれば何かを奪うだけの事。
傷つけるという事じゃなくてそれなりに得るものがあれば代償にする何かがあるという事。
スキゾイドであろうがなかろうかそれは他人様が決めればいい。
大事な事は理から逃れる事は出来ないし、自分も例外ではない事を知っておけばいい。
己の志す事が多くの人にとって正しくて有益なら欲しいモノなど後から嫌でもついてくる。
それはそれで面倒そうだなぁ…
ほななん。