八月十五日は日本でいろいろ起きて、それに対して一部の国が騒ぐ。
さらに差の騒ぎに乗じて人権団体とか市民団体が騒ぐ。
これは毎年恒例と言っていい。
彼等が最も愚かなのは「違いを認めろ」と主張してる傍から当事者本人達がその違いによる利権や差別を助長している事。
この世に存在する争いの多くが違いから発生しているのだけど、その身近で日常に存在する事実にすら目先の銭に釣られて曇っている。
なんと愚かしい事よ。
差別は無くならない。
良くはないけど無くならない。
極論を言えば人間の中に潜む狂気そのものを排除しなければ無くなる事はない。
なのでまず認識を改める必要があると何度も触れている。
例えば。
人にの容姿には違いがある。
顔の造作の違いや体格の違いがある。
しかしここにイケメンとかブサメンという蔑視が産まれる。
これが何故なのかは説明の必要は無いだろう。
単に関わる事が無ければ無関心で住み分けの出来る他人に過ぎないのに、わざわざ蔑視や差別を含む言葉を口に出す。
口に出さなければいいという事はないが、言葉にするよりはずっといいだろう。
個性がそれぞれ違うのに、社会に存在するあらゆるシステムはそれらを無視して人を縛る。
その最たる例が金銭である事も多い。
時間と金に縛られ、心や精神の自由を奪われ、さらにその価値観に批准しないものは辛辣な言葉を論って排除する。
これが現代社会に存在する現実の一部である事をそれだけの人が気付いてるかな。
既存システムの全てが悪い訳ではない。
使い方が悪いという事も事実。
何処の誰か知らぬが私利私欲や柵縛られシステムや価値観を押し付けるが、押し付けている本人達は決して心穏やかではないだろう。
本当に救われないね。
ほなね。