未来志向のお話でも。
なんともまぁシンギュラリティなるものがあり、これは形を変えた文化革命とも言えなくもない。
んで、2045年に予想される産業やら、経済やらの予想図なるものを垣間見た。
刮目に値するのは「あらゆる物が3Dプリンターで生産可能」という行。
これは説明するまでも無く、文字通りあらゆるコストと人員が抑えられる事でかなりのメリットをもたらす。
企業、特に小売りや産業の悩みは在庫を抱える事であり、それらの全てがほぼ解決する。
しかも建築に応用する事も可能だとか。
つまり在来の鉄鋼、木材加工が全て現場で賄えてしまい、さらに2x4の原理で高層建築物も現在の耐震強度と大差ない構造物を作る事が可能になるとか。
さらにさらに3Dプリンターの応用で極小型で長持ちする電池が生産可能になると。
凡そこのような事らしい…
…ん?…待てよ…?
肝心な心の問題はどうなの?となった。
今これをどうこう言っても意味があるかどうかすら判らないけど、あらゆる産業に人員削減が可能になり、従事する人もオフィスに足を運ばずともお仕事になる。
それは判るし、おそらくそれで浮くであろう今までに縛られてきた拘束時間が大幅に減り、コミュニティにリソースを振る事が可能になるのも判る。
さらにAIの発達が及ぼすのは相対性理論や量子論にまでシンギュラリティを与えるとある。
つまり人の心の問題もそれに比例して今よりマシになるのだろうか?
それは言い換えてみれば既存の教義や倫理が融合していくと言えば聞こえはいいのだけど、別の言い方をすればそれらの退廃となる。
問題はここだよ。
今まで信じてきた、理想に思っていた事が否定まではいかないが時代に対して否応なしに埋もれてしまう事を良しと出来る状況なのだろうか?
結びには多くの人が職に縛られる時間が大幅に減る事で余暇を思うがままに使える世界とあるが、それが「new.world.order」の正体かえ?
もしそうならそれはきっとシャングリラとかパラダイスの到来となるが、そこまで手放しで喜べるものなのか?
コンピューターの集積数が人間の脳を超えるとかある種寒気のする未来予想だが、それで今より争いとか人の作為の暴走が減るならそれも構わない。
何せ2045年だとわたしは存命しているかどうかすら判らない。
存命していても「高齢者」世代だし、その時代の到来を冥途の土産にという歳だ。
暗い事件の報道が目立つ中、喜んでいいのか憂えた方がいいのか判らない未来予想だね。
ほなね。