先日「帰る場所も帰りたい場所も無い」と書いたけどよく考えたらありました。
そこは祖母の実家でわたしの母が産まれた家。
ここで言う生まれたとは単に祖母が実家の近所の病院でお産をしたという事ではなく、近所親族の産婆さんや介添えさんの手によって文字通りの実家の一室で生まれたという意味。
まだその当時だと珍しくない事かもしれないけど、現在だと助産師さんに部屋に来てもらってお産をするのはいろいろ難しいかも。
それはともかく。
そんな家なので近所に菩提寺もある。
これも文字通り先祖代々を弔っているお寺。
わたしはかれこれこの土地に20年以上行けていない。
しかも20年あれば人生いろいろだしご先祖様に挨拶&ご報告もしなければいけない。
むろんほとんどはゴメンナサイなんだけど、今もそこで暮らす人達はわたしが行くと「お帰り」と言って迎えてくれる。
年内は難しいけど来年には行きたい。
某3Dマップで確認すると風景にあまり変化はなさそうだ。
ただし叔父が他界して3年経っているのでいろいろ大変なようではある。
当主(この名称も現代ではあまり言わない)が替り気苦労も多い事だろう。
わたし自身も一応この家の分家?(この辺りは諸事情で非常に複雑)の党首に相当するのだが、わたしには妻も子も守る家もないので当主は言い過ぎだとは思うのだが、向こうの人の一部はわたしを「惣領」とも呼ぶのでよく判らない。
そういった柵の外に身を置いているし、特に何やら権利があるとかでもない。
単にわたしにとっては安息の記憶であり、魂の故郷と言える場所であるという事。
もう叔父叔母に逢う事は叶わないけど、二人はわたしの心の中で存在している。
現在の当主はわたしよりだいぶ年かさではあるのだが、続き柄で言うと母の従妹にあたる。
行っていろいろ話たいし、叶うなら一献傾けながら穏やかな時間を過ごしたい。
多分こういう事にも今のわたしが生きている理由があるのだろう。
何がどうという事ではなく、何かを成し遂げる意味合いで理由になっているのだろう。
それにね。
何となくだけど行けば何かが変わる気がするのです。
それは悪い事ではなく、わたし自身の心に何か変化を齎すのではないかと考えている。
車なら片道2時間電車なら3時間くらいの距離なのに縁が薄いのかそれが必要なのか判らないけど近くて遠い故郷。
それでも心とか魂は繋がっている。
ほなね。