こんにちは。
スラングや世界の事情の一部に簡単にアクセスできてしまう現代。
その中に少ないけどいくつかの現実がある。
それは人の内面とか?
誤魔化す意図で使われる心の闇など。
醜さなど愛したくはないけど仮面を被っていい人でいるよりずっとずっとマシと思えてしまうのはわたしが疲れている所為だろうか…
全ての謎が解明したわけではないけど所詮この世界は虚構。
誰かが作り上げた価値観とシステムの中で足掻く奴隷のような気分になる。
が、しかし。
仮面を脱ぎ捨てる事は可能で、それは現実の世界でも同じ事。
世の中の多くは人に対していい人でいなさいとか、立派な人になりなさいと言うが、わたしは見た目に立派とかいい人という手合いを一番信用しない。
人の悪口を言わないとかそれはそれで立派ではあるのだけど、その分己を犠牲にしている偽善とか欺瞞と見える事が多い。
もちろんそれがなんらかの目的の為であれば共感する。
しかし単に他人に嫌われたくないとか、他人の視線を憚るのが目的であればそんな鍍金はほぼ一見で看破する。
底が浅かろうが深かろうが人間が本質を隠す事は至難の業と言っていい。
さてそんな経験を経て現在のわたしはと言うと、己に正直になりつつあるが、まだまだ恥を捨てきれず右往左往している。
特に最近はそんな自分と葛藤とで疲れているようだ。
誰だって嫌われたくないのは同じ事だけどこの場合一時が万事で恥のかき捨てでは済まず、その嘘や見栄が己を苛む事に繋がる。
だからといって己に嘘をつかない事で犯罪や不用意に他人を傷つける事は間違っている。
過去に何度か言われた事が「君は人を見下している」だった。
そりゃ相手の価値観さ。
わたし自身は決して見下してなどいなかった。
またある人物は「もっと謙虚になりなさい」と言った。
わたしは即答した。
「わたしが謙虚になって何か事態が好転したかい?わたしは言うべき事を言って事態の打開を図ったのだが、それが理解されないなら仕方がないだろう?」と。
まわりにそんな人達ばかりでわたしの本質や考えるところを一切判っていなかったか、わたしが至らなかった、説明が足りなかったか。
それはどちらでもいいのだが、そんなやりとりに疲れて現在のわたしが居る。
少し前の事だが人と話をしているときに「社会に適応する意味でもこの方法は試すべきだ」と言った人がいた。
わたしは「多くの犠牲を強いてしかもその現状を変えようとせず、君のようにしたり顔で上から目線で他人に偉そうなご高説をかます人物を良しとしているこの社会に適応する価値があるかね?」と言った。
論破するつもりで言ったわけではないさ。
あくまでもわたし個人の見解であり本音を吐露しただけ。
けれどその人は黙ってしまった。
全部を否定するつもりはないが、この世界、とりわけ日本社会は学歴や地位肩書に拘り、それが高いほどそれを良しとする風潮がある。
むろんそこに至るためにあらゆる物事を犠牲にして努力に全振りした事は立派だと思う。
しかし…
優位性を保つ為のものだったらそれは滑稽と言えはすまいか?
無価値を良しとしているわけじゃない。
そうじゃなくて、本当に価値のある事は何かを考え続けてきたらこうなった。
以前の記事にも書いたがお金は大事だが、それが全てではないし、お金で買えない物事だってある。
本当に価値のある物事は心で贖うものではなかろうかと考えているに過ぎない。
だからこそ必要が無いと見限った物事を捨ててきた。
何だか偉そうな事書いているが、わたしとて未だ己が望む物事に出会えていないし、出会える保証など何処にも存在しない。
お釈迦様の言葉を借りれば所詮わたしも求道者に過ぎない。
多分何物にもなれず、何事にも出会えず終焉を迎える。
けれど諦めずに生きている。
他人との関りを通して摩擦や軋轢があるのはどうしようもない。
合わないのだから仕方がないでしょ?
頑なと言ってくれるなよ。
人一人の理想なんてこんなものだよ。
坂本竜馬だって言ってたじゃないか。
「己のする事は己のみぞ知る」って。
それに…
志半ばで生涯を閉じた人物ならたくさんいるじゃないか。
わたしはそんな人物の残してきた何かを自分なりに理解して何度も咀嚼してフィードバックしてきただけだよ。
そういう意味では過去や歴史って本当に大事だよね。
日本に限らず世界史を見渡せば志半ばで果てた人物、或いは理想を成就させた人物は枚挙に暇がない。
しかし悲しい事に現代は先人先達が思い描いていた願いとは程遠い。
さらに悲しい事に現代人の多くがそれを望む事を認められていながらそれを自覚していない事。
お話が大袈裟になったけどわたし個人の野心や理想などさほど大袈裟な事ではない。
人一人がよりよく生きるにはどうすればいいかだけを考えていたら現在の願いに集約されただけさ。
ほなまたね。