最近のわたし。
以前書いたトラブルが思わぬ方向で解決しそう。
トラブル発生時から抱えていたストレスが軽減してきた。
特に最近は観たいものだけ見て、聞きたい音だけ聴いている。
特にする事が無い時は動画サイトで「落語」を聞き流している。
落語に話が振れてしまうが、わたしは生前から歌丸さんが好き。
佇まいとか、浜っ子なのに江戸っ子っぽい情緒があり、語り口は軽快でとても間がいい。
それともうひとつ。
あの人はとても格好いい人だった。
何か生き様を観ているようでもあったし、生い立ちに由来する人間の穢れやら汚さも出来るだけ正確且つ不快にならぬ表現をする。
まぁそれはともかく、とにかく最近こんな感じで過ごしている。
そういえば落語の演目に「西行」とか「平家盛衰記」があったのでちょっとググってみる。
すると面白い事に繋がっていた。
舞台と視点は離れるのだけど、わたしは所謂源氏の末裔という事で今暮らしている近所に縁のある神社仏閣がある事を知った。
そして思う。
「わたしがこの土地に来たのは単なる気まぐれではなく何かしらの縁があっての事なのだろう」と。
それもともかく、近々お社に行ってみようと思う。
そこで何がという事でなく、なんとなく行く必要が生じたとしか言えない。
トラブル解決に平行してわたしは来年早々この土地を離れる予定だし、氏神様にご挨拶もしなければなるまい。
詰まるところ観たいものとか聴きたいものも「断捨離」であり、「取捨選択」でもある。
これ面白い事に楽器の上達によく似ています。
最初は早く弾けるようになりたいからやたら力が入る。
力が入る事で肩の力も抜けないからうまく弾けないの悪循環。
しかし何度も反復練習しリズムがきちんと頭に入ってくるあたりから飛躍的にうまく弾けるようになる。
楽器の上達はこの繰り返しなのだけど、生活における上達も同じようなモノなのだろう。
言い換えれば現在のわたしにとても不必要な物事は「ゴシップ」とか「目祖塞ぎたくなる事件」や「愚にもつかない番組」であるに過ぎない。
多分これらを観る事は圧倒的に少なくなるだろう。
但し事件報道と政治報道は目を通すようにしている。
経済なんかもね。
考えるのを止めたくないから至った選択肢であるというお話でした。
ほならん。