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This Armor

古今東西何でも研究所

前回の続編

タイムリーと言ってしまうとなんだか不謹慎なんだけど、更新した直後某サイトにて「AIの普及で人間の定義が変わる」とか、某政令指定都市におけるヘイトに対して刑事罰を課す議論を進行中というものが視界に入った。

人間の定義も人権の定義も不十分に余りあるのが現段階である事は先に述べた。

ではでは。

「人としての権利」は「人間の定義」の延長線上にあるのでまずは人間の定義から。

何だけど…何かを数値化、可視化する事で定義の体は為すもののそれが全てじゃないから難しいね。

乱暴に言ってしまえば点数制にして、法犯せばマイナス社会に貢献すれプラスとしてしまうのは横暴且つ乱暴であるのは言うまでもない。

優劣でなく、持ち物でなく心の在り方のようなものが可視化できれば一番分かり易いとなるのだけど、それじゃうそ発見器と何ら変わらんともなる。

それに「人間らしさ」の定義もいろいろで、落語の登場人物など最たる存在で、「人間完璧じゃないし弱いものだからそういう事もあるよね」と共感し、それを面白おかしくオチとするから成立する。

だが落語は「人間」が最大のテーマであり、人間にとって「笑う」事はとても重要。

なのでちょっと笑いに焦点を絞ってみる。

ブラックジャックの話しに「笑う」事は高等表現で人間にしか出来ないというセリフがある。

もちろん否定はしないし、実際そうなのだと思う。
多分それは人体構造とか顔の筋肉の構成で笑う「表情」を作る事が出来るのだと仮定する。

しかし動物にもこれが出来る個体が存在?していて一括りには出来ない。
動物の行はまぁおくとして、笑うという表情とそれを誘うおかしみとか面白みは確かに人が作り出すものだからそれ一つだけを定義するなら笑う事が出来れば人間であるとは言えるかもしれない。

人には喜怒哀楽といった感情表現があり、文字通り笑ったり泣いたり悔しかったり楽しかったりする。

創り出すという側面にも人間を定義する材料は沢山あって枚挙に暇がない。

さらに言えば創造とは神の御業であり、人間はそれを模写しているとも言える。

神様の真似をして社会を作り秩序を作り文明を…となれば現代人は確実に人間である。

しかしわたしが恐怖を覚えたのは先述したAIの行でコメントしている人のほとんどが「己が人間である事」前提として発言だった。

もちろん日常生活において人間である証明を考える事はあまり必要ないけれど、かの事件において「人間とは?」が再び問われた。

古い言い回しを引用すれば無宗教と発言すると「わたしは人間ではありません」に等しいといわれている時期もあった。

宗教は割愛するが、人間を定義する場合どうしても無視できないのが信仰心でもある。

あらゆる側面から観て論じ十分な議論を重ねて改めて人間である証明を考えなければいけない。

それきっとこれからこの先、おそらく百年二百年千年と続いていく人類史において必ず答えを出さなければならず、これを解決しなければ今以上の変化は望めない要素なのだろう。

だが笑う事で共感共鳴する事で打ち解ける事があるのも現実で、一緒に笑ったり泣いたり出来る誰かが居ればそれが人間である事の証明になるかもしれない。

もう少しよく考えてさらに続きを書きますが本日はこの辺で。

ほななん。
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