15年ぶりくらい?で幼馴染と言えるくらい長い付き合いの同級生から連絡があった。
電話の第一声が「よぉ色男」だった笑
もうおっさんで控えめに言っても色男はないだろう笑
で、近況をポツポツ話した。
彼には娘さんが3人いて長女が成人したのでそこを少し突っ込んでみた。
「どうよ?子供が成人してひと段落かい?」と。
そしたら以外と言うかまぁそういう事もあるだろうなくらいの返事が返ってきた。
当然家族を養うのだからお仕事とお金はついてくる。
彼が言うには、30年近く勤めてきて上司やら部下取引相手等々方々で気を使い配慮して時には頭も下げてなどで、正直少し疲れているが、同時に職場を止めて企業も考えていると。
何でそういう事を言ったのかは、詰まるところ人はどんな状況であれ誰かしらといろんな関りを持つ事で行きつく答えが存在する。
それはわたしにとって以外でもなんでもなく答え合わせに近いものだった。
持つ者と持たない者が別々の人生を送ってきた答えがほぼ同一だった事にある種の確信や共感を覚えた。
さて。
友と銘打ったがこの彼はわたしにとって友と言えるのだろうか?と考えてしまった。
でもあいつは昔からああだったし、割と周りに配慮はするがいう事はわたしほどではないにせよ毒舌で、でもわたしから見ると割と堅実な人生を歩んでいたように思う。
しかも15年と言う空白があっても、10代に戻ったように話す事が出来たのは友ということなのだろう。
今更その線引きで困る事もないし、拒絶する事も無い。
拘りもしない。
その出来事切っ掛けでわたし別の野郎に10年ぶりに連絡を取った。
というのは件の彼と「奴はどうしてるかな?」なんて話をしたので、その消息を追う形で別の野郎と連絡をとってみた。
そっちとも同じような内容の話にはなったが、奴については一部知る事が出来た。
現在は離縁して子供も元嫁さんに預け今は一人で居ると知った。
しかしながらわたしはこの奴と直接連絡する事は避けた。
わだかまりという事じゃなくて今は関わるべきではないと判断したからだ。
人生も半世紀過ごすとこういう事も出てくるものだ。
そりゃそうだよね。
その空白の時間はお互いの空白であって、それぞれの時間や経緯がある。
だからそれを笑って話せる時が来るまでは放っておくのがいい。
その時が来なくたっていい。
命を終えるその時に後悔したっていい。
それが出会いと別れという事だし、全てがクリアにきれいごとだけで過ごせるわけじゃないからね。
それに場合によってはその時までずっと憎んでいた方がいい事だってあるのだよ。
でも。
15年の空白だったが、連絡をくれた事は嬉しかった。
友達はいないものだと思い込んでいたから余計に嬉しかった己が滑稽だが、それすら己を笑っていられる今この瞬間に感謝。
ありがとう。
ほなね。