前回の書き込みの続きとなります。
ふと頭を過る事がありました。
バブル崩壊における銀行貸し付けの総量規制です。
世の大きな流れとなったのは言うまでもありませんが、言ってしまえばたかが当時の大蔵省の鶴の一声から30年で現在に至っています。
自由経済の流れを維持するには必要な規制だったのかもしれませんがその犠牲はあまりにも大きかった。
内容は違えど日本人の豊かさ、心の余裕に直結した事は紛れもない事実であり、しかも多くの人がその流れに乗った。
格差なんて言葉30年前の当時からあった事だし、しかもその時は貿易摩擦でアメリカが干上がる寸前で失業者数が世界的な問題になっていました。
ここでアメリカを批判するつもりはありませんが、アメリカのやり方に賛同し乗った事も事実だしそれを選択したのも日本人である事も間違いありません。
ですがここにきていろんな歪みが生じて何かを変化転換しなければ立ち行かなくなる状況に来ました。
ここで問題です。
仮にです。仮に政府なりが大号令よろしく労働環境の改善やネット上の言葉の暴力を規制する動きがあったと仮定してどれだけの人がそれに乗るのでしょう?
それともそういう「大義名分」が無ければ指示待ちよろしく日本人は何もしないのでしょうか。
そんな事を考えてしまうと正直うんざりします。
歪みの中にはここ数年報道されている通り魔事件とか意味の判らない理解の範疇を超えたものが含まれます。
しかし同情の余地が無いと言えど、動機の根底に貧困が存在するなら一定の効果は上がるのでしょう。
でもそれだけでは圧倒的に足りない。
多分ですが、今必要なのは肩書や持ち物を取っ払った「対等な関係性」と「認め合う心」なのだと感じます。
とかく学歴や経歴で人間を図る傾向にある流れを止めてもう一度お互いの存在意義を考える必要があります。
老いも若きも同じ人間。
しかも人間一人の人生で出来る事など本当にたかが知れているし、それを成し遂げるために生まれたのが団体とか組織と言う存在です。
ですが現在はこの因果関係が逆転し、組織の奴隷と成り下がっている現状を変えなければ日本人は本当に失われてしまう。
多分こんな事考えている人はたくさんいるだろうし、声に出せないのは現代社会がそれを阻害している部分が大きい。
だってそうでしょう?
匿名性云々は別にしても実生活において言葉を口に出す事はとてもリスクを伴うのですから。
この不健全で閉鎖的な流れを変えるには何か大号令が必要なのでしょうか?
それとも民間人の自由意志によって成し遂げられるのかは判りません。
政治やら世相を批判するだけなら簡単なのですが、己ひとりでは何も変える事が出来ない歯痒さに心を痛めている情けを知る心優しき人はたくさんいるのだと信じたい。
それに言葉よりも行動で示した方が早いですしね。
さて。
わたしには何が出来るのでしょうか。
ほな。