まずはじめに。
「家族などあればいいというものではない!」と言っておきます。
感想文は苦手なので思うところを在るがまま書いてみます。
先日「万引き家族」なる映画を拝見しました。
何だか賞を取ったとかで話題にはなっていたし、好きな役者さん揃ってるし是枝さんだし…という事で鑑賞しましたハイ。
んで一言で言うと「笑えない…」でした。
もちろん内容が内容だし、コメディではないのでこれは当たり前のお話。
問題というか、個人的な「感情移入」が多すぎてちょっと痛かったと言えばいいのでしょうか…
某〇日説とかそういう事は別の事として、わたしが見てきた昭和がよく描かれていた事、現在と同じように当時にも存在したであろう「貧困」という問題。
何よりも血の繋がった家族が揃っていれば子供が安心して暮らせる訳ではない事を経験上知っているから。←多分これが本質。
現在では考えられないようなコミュニティが存在した「昭和」という時代。
幼少時のわたしが母に怒られ外に放り出され泣いていると当時暮らしていたアパートの大家さんが声をかけてくれてとりあえず自宅に入れてくれる。
そして「寒くない?お風呂入った?」と促してくれて大家さんの娘さんと一緒にお風呂に入った事をよく覚えています。
ちなみにこの後大家さんの娘さんとムフフな展開はありません(笑
と、まぁこんな風にちょっと調味料が切れたからお隣さんから少し貰うとか当たり前のようにあった。
それが今現在の理性で言うところの「助け合い」となるのだけど、かの映画にはその「助け合い」が描かれていました。
もちろん万引きは犯罪だし、それを正当化する事は許される事ではないでしょう。
しかしアレは作り物の「映画」であってそれ以上でもそれ以下でもそれ以外でもない単なる「映画」です。
昔よく見られた?光景とは言いませんが、何らかの形で「助け合って」暮らしていた当時の風景の一つではあります。
そして家族ですが、これも個人的な経験に基づく事ですがわたし自身が家族親族と疎遠なのは以前少し触れていますし、曰く「遠くの親戚より近くの他人」とも言います。
家族とは揃っていればそれでいいというものではないのは多分現代社会も同じだとは思います。
しかし何故か「虐待」による子供が死亡する報道が後を絶ちません。
「虐待」無いように見える「静かな虐待」も存在します。
そしてさらに不思議なのは家族当事者がそれを何か履き違えて、赤の他人である「誰か」がその間違いを知っている事が屡々存在します。
シングル家庭とか両親の離別によって子供は否応なしに「大人の都合」に従うしかなく、自分の将来や生活を選択する「分別」さえ身についていない事がほとんどです。
これは当たり前で三歳児、五歳児にそんな「分別」が着くわけも無く文字通り否応なしで自分を養育してくれるであろう保護者に従います。
しかしそれが例外なのか本来あるべき姿なのか判りませんが「母子父子家庭」に育つ人でも何の問題も無く成長する事だってあるんです。
親御さん親族さんの努力によるところは大きいけれどそういうケースも存在はします。
残念なのはこれが「通常のケース」ではなくほぼイレギュラー扱いで「大人の都合優先」で子供が巻き込まれる場合多い事。
レビューの一部に触れている方おられましたが、「法や福祉の機能不全」と言えますが、そもそも「機能不全家族」なのですから問題は根深いと言えるでしょう。
さらに良くない事に幼少時の記憶はほぼ一生引きずる可能性が高く、この時期に「虐待」とか「不正不当な手段」を刷り込まれた場合これを矯正するのも極めて困難となり、ネットスラングで言うところの「ガイジ」とか「障害」と言われる事に繋がります。
趣旨が反するようにも見えますが、詰まるところ家族も所詮「周りの状況」の一部でありそこに血の繋がりや他人という括りに違いはありません。
感想としては「社会問題」とか「犯罪加害者」「犯罪被害者」に切り込んだ優れた作品とは言えます。
しかし「貧困」や「犯罪」とほぼ無関係で生きている人には「そこに存在する背中合わせの危機」というものを感じ取る事は難しいかもしれません。
逆にわたしのように別視点で感情移入してしまうと痛々しくて目を逸らしたくなる人もいるかもしれません。
思想や主義は別として是枝さんというクリエイターが優秀である事は言うまでも無いと感じています。
以上思うままを書いてみました。
ほななん。