ありません。
還る場所が存在しないから。
なんて書き方するととても痛い人に見えますし、実際傍から見たらそう見えるのだろう。
どう見られているかなど大して気にしていないのでそれはともかく。
こんなわたしでも過去には帰る場所があり、そこで幸せと言うものを感じた事があった。
これはあくまでも時間の問題で振り返って懐かしいと感じたり、ふと涙がでそうなくらい切なくなるくらいの時間が経っていて、帰る事の出来ない物事だとよく理解している事が要因なのだろう。
現実にちょっと帰りたいかも?とか頭を過るのだけど、離別を選択した理由を考えると「今のままでいいや~」となってしまう。
そういえば先日夕暮れ時に外出したとき、家族連れとかカップルが幸せそうにしているのを見てわたしにもあんな過去があったな~とか、悪くなさそうとか考えてみた。
けれど今現在おひとり様で、先の予定はないし。
要するに季節柄寒風に充てられてちょっとおセンチになったのかも。
嫌なクセだけど、経験上どうしたって人の上っ面だけを観る訳にはいかない。
本当にクセになってしまっていて、それは己を守るうえで嫌でも身に着いてしまったクセなんだけど、どうしても一定以上の関りを持つ以上相手の腹を探る。
これもまた傍から見たら「イヤな大人」に見えるのだろう笑
けれどこれはわたし一人に限った事じゃないだろうし、これを以て免罪符にするつもりもないが、「不信の世界」で生きるとはそういう事なのだろう。
誰が?とか何が?とか考える事はない。
感じるだけでいい。
仮に責任所在地をどこに求めるにしてもそれを否応無しとは言えど選んでい来たのは己だし。
シェアリングという言葉と概念が一般的になってきたけど、こういう事もシェアできれば痛ましい事件やら、悲しい出来事は減るのかしら?とは思う。
つい社会やら政治に責任転嫁しがちだけど、物事の功罪を考えればおのずと答えは出てくる。
政治や社会も問題だけど、己の選択にも問題があると考えれば少し違って来る。
それでも今この瞬間に是正されなければいけない物事多いけど、どのくらいが万人に対して概ね許容できるのか?なんて難しすぎて投げ出したくなる。
そでれも投げ出さない理由はよく判らない。
半分くらい失望しているのにもう半分くらいがそれを手放さない。
なんでだろ?
もしこれが「己の帰る場所」を見出そうとしているのだとしたら人間一人の小さな傲慢はどれほど罪深く、人間臭い事か。
ほな。